-
江戸砂子温故名跡誌巻之二治涼簒斜豊島郎岐田酒五議草花川戸山三宿新寺町同六今戸橋場山谷新吉原足立郡千割江頭住七同下谷池之端坂本金杉
-
江戸砂子温故名跡誌巻之三治涼簒卿典場郡螻田詞八湯畠本江上野境内九同谷中根津三崎日幕里三河島同宿肉領同同十駒込染井西ケ原平堺王子十一同小石川白山大塚菓鴨板橋
-
江戸より諸国御道法日本橋御おる花城あたごつたしゑぼぐんじ回町堀上吉立ば大木哉泉兵る大仏しばんどらさらの名所気こき所也つけん山紙大寺木め寺からろくとう問やば紀をうはや情にけ上り行田十衛仕古川りなんわたし廼出るなりいけがち物詰本門寺両理六者の治き寺取がハさかき
-
の英泉画ゆ江戸根元深川佐賀町船橋屋題船橋屋果子同街頭人不絶訪捜客紛々石室儲丹粟蘿房醸翠雲琴台翁
-
江戸方角見量之図板橋富干キ谷中金杉山セ也鉢染井谷島て越医町海月彼兵郎木牛旧道町返かカ具椿きの第青代官町式道染川糸屋を町張御城太臣霞組門東著奢小路名角当院のばく聞形軽紙愛麻前萩芝ウウ町餅渋谷鼻達師角落皇瓶川虻日本橋道法富豆六下角国川へ註小杉川へ註上野云卅間木江五所一一里四ツ谷謂介ニ一里品川豆陵亭記殿一里池に三里欲陀州廿町千寿の二目白七里深川叩笑拾橋に一里板橋二里目異二里曽司谷一里十葛西三
-
岐蘇路之記東海道之記△日木橋ミりリ板橋ニリ東品△日本橋より二○品川二り此間戸田のわたし此川上ハ川崎海寺海姜寺にり詮八入間川角田川流る都鳥海此る辺海附也六郷川舟し此の名所伊勢物語に落丁り狂客上は玉川也入口に大作浦和り大り上尾り河にるへのり神桶川○の巣りの出日道筑神に老左の方本目見参也先へ行道あ熊名二にす○程か行東南の方倉の有此所直買の住所なる駅堪木村武翁相横の国坂に木条あり是よ祝父へ○藤訳二藤する時の深谷此るに岡部六路寺なり強会のあり馬の旧あ本度り新町永渡し○堀花橋よりに此る岩草付ん京川畜士見ゆ○大磯り此辺小余後武蔵上所の国境な食の砕名所なり鴫立沢はたの方り当みり浅間つ向大殿あ酒句川歩行に田原聞にるみゆ此間佐へ行有是弓箱根山上坂也名所多しこれ侍拝伊左衛門世旧是也薯箱根権現寒の御国所高冷一寸左の方間部爰のあり箱根此下り坂三賊見ゆ此辺忠る畑草を作か切千貫樋豆相様の塩り板南阿原に此より足山しく皆士の吉義へ八木富士川わたし岩門よといでいより平也原身延山の道あ○当原一松井同り横川いふ所に○由井二り食次薩塩呼臣也御関所あ妙義山は松ゐ田神屋興津川三程松原○沖津の南に此山は松井田よりつ見が関清見寺袖しが坂本の西凡りばかり由井とほ等の名所多し・江尻りく給きたる岩山也坂本か神津見さくる類も此間に草蘿村に神社あこれよ井師へ昇る江つ風の面にれハ上○府中一阿部川船わたし上野信濃の堺る棒かよふうら舟久能山きべし・鞠二り熊野精理のあ軽賀源之宇都の山葛のら所是よ酒間の棒生懸同部の名所有間のなりあ藤枝此石わべ焼石進口歩行位し此駿さ江の北通のる介しにな○金谷此絵日三月日八まな蔔佐夜中名所其川日の坂樹此右枚七いミ名布富る
-
続江戸砂子温故名弥志巻之三菊岡諧涼簒一神社拾遺并同類聚名所古賭拾遺二御外曲輪中日本橋南北先筋遠口橋橋東大川三浅草下谷谷中本江駒込染井王子小石川四小昌牛込高田大羅市ケ谷四谷赤坂洪谷五桜田芝西ノ箆麻布三田高輪品白金二本根目黒六深川本荘中ノ郷亀戸隅田川葛西
-
江戸砂子温故名跡誌巻之四諧涼簒縛豊場郎波田領十二牛込小日向関口雑司谷高田市谷大久保同谷丹藤宿大木戸多磨郡中野同郎高井土十三四鮫か橋桶檀谷同都麻布領坂青山詰谷雀原郡世里分十四赤長者ケ丸鶴ケ谷
-
●こゝにあさくさ川げだ駒掛堂のきしをかゝうをたてゝありこまかけだうといへりまつち山いほさきこまかけ皆名所なり本たいは馬頭観音なりむかしけあさくさつのわたし守追手の風に帆をかけてはしる船中より此だうをみれはだうのかけるやうに見ゆるさるによつてこまかけだうと名付と有あさくさくわんをんへさんけいのかへりさあしをやすめんためにこの所よりふねにのりて江戸橋そのほか方〱へ舟付風はけしけれは舟中へかけ浪するを見て心ある人のよめる身をしれは人のとかともおもはぬにうらミかほにもぬるゝ十一張ヨり袖かな大和名所鑑上巻十二張漉
-
江戸砂子温故名跡誌巻之五占帝簒縛十五豊廿之島郡麻布須西陸愛宿下三民十六同麻部布平尾十七荘原郡品川領三田二本様高輪十八同郡品川鈴森大井西込頭池上同品川頭馬之領田谷領金目黒碑文谷天口十九白
-
江戸尾張町二丁目横通鱣御蒲焼元祖大和田源八尾張町江戸名物鱣蒲焼鈴木源六麹町四丁目凶鱣御蒲焼丹波屋忠兵衛神田筋篷中町鱣御蒲焼深川屋茂八
-
六東海道名所記ゑう入意作江戸ゟ因縁京を迄の宿々名所作ス二鎌倉記沢庵作五鎌倉物語中川㐂雲七江戸名所そ意作十江戸すゞめ六江戸がのこ八同惣がのこ名所大全十日本がのこ十二山城名所記山本春順作一山城村鑑六京わらべ京か中川名所喜云六同跡追同作七京すゞめ京ノ町そ意作名つくし六出来斎京土産六京羽二重小島徳土門作六同織留同作十𩹵州府志道然作八名所都鳥一京江戸案内者十二大和名所記
-
燕都の見閣序夫御江戸の広大なるや太平記のハ百余りは殆玄恵か万八に近しといへとも忘紫一本のハ百い可は却而茂雎の十か一を笑ひつへてし今や昇平相つゞいて大路小路ハ美人の髪よりも繁く名所古跡ハ
-
●しゆびよくほうかう相つとめ国元へ行人ありたび立によき日成とてあまそらをもいとわず江戸を立て品川へゆく頃はかみな月ふりみふらすみさためなき時雨をさそふ折なれはしきりにあめふりきたりて行さきもみわかず行人あり六ごうのはしへかゝる此川と申はたば川のながれなりはしの長け百九けんありはし中より右の方を池上のだうみゆる㔫は海上まん〱として渡海のふね猶風にほをまく雨風つよけれは浪にたゞよひてはしる也さして行山のはもみなかきくもり心の空にさししつりふね犬和名所鑑上巻像六江橋体麦川師宣出
-
道なる江尻の駅に出ツ尻は江後也なほ坊後を町尻といふが如しこのうち望岳図に漏せしもあり合セ考べし彼図は解が蔵に一本あり又ある人の富真せらしを借得てしなほよくしれる人究めつゝ画きたる華山子の苦心に成れり僅に余里なる処だもかく女し況出羽の秋田なる語はその地の人の口掟に由れども原本は絶てなしいまだその地を踏ずして巨細に図せん事をさなき筆にはいと〱心もなしとて興継はしつ画るころ木氏附部して彼沼の図一員をおくらるこゝに至てその藁を易る三たび也僅にその真景をすを得たり第十江古図略説這考この条下になほしるすべき事あるを忘れたればこゝに追書す江戸は和名国郎郎武蔵の卿名の中に見えず東鑑巻六菜四八月廿日衣兵ノ文の条に江戸ノ太郎重長あり巻ノ廿一建保和田元年五月三日義盛陣のに江戸左衛門府能範あり太平記巻三十に江戸遠江宇ありこれらの今その地を名乗たれは江戸の地名はなほふるくより唱たるなるべしはじめは荘なりしにやとある人はいへれどしからじこゝは江村なり初はに船の泊る処なれば江戸と唱たるなるべし何となれば浅草なる今戸船川戸今は花川戸と唱ふも昔は漁戸なりけるよし也応仁文明のころまでも今戸船戸のあるを聞ざるは城邑ならざれば也かゝれは江戸今戸の戸は鳴戸由良戸の戸の如くみなととまりの略辞ならん常陸の木戸もこれにおなじみとはなとのなを省けり水戸と書キたるは湊及の仮字也すべて戸と唱る地名に水辺ならぬは稀なり伊勢の神戸は官戸封戸の戸なればこれとおなじからず鳥羽はまりのりを省りは横音相通鳥羽と書るは仮字也又みなと場の略辞といはんも由なきにあらずさばれ先案をおだやか也すべし山城の鳥羽も右におなじこは野場の義歟鳥羽に並びて上の出戸あり皆淀川の上に在り余は隼てしるべし嘗倉志を考るに巻之二雀柄天神の条下に載られし江亭記並その序村庵見擬諸道徳の詩句よく江戸の義に称へり記は文明八年申八月湖山得云の撰也霊露カ序云平蒸苗布一千
-
江戸橋小網町行この川岸通り新堀口に同じく商貫の土庫なり軒をつらねたり一第これを遠方に膾望ばあたかも一万里の長城に等し
-
根津権現江都延郊名勝一覧東の方三井文庫▲日本橋南北へ架す長サ凡二十八間南の橋詰西の万に御高札あり群鑑葱宝珠の銘に万治元年戌戌九月造立とす○此橋を以て江都の中央とし諸方への道法皆以てこの橋を本とす○此橋北は室町より筋違橋の通り南は通一丁目より芝浦に至る雨ハ御城東は築記深川中川木下川等に至る▲常盤橋これ御城より東にあたり日本橋よりは西也この橋を出れば本町通り同小の方石町通り浅草橋にいたる▲堺町育屋町この二ケ町とも歌舞彼座あり堺町は実永元甲子の春中村動三郎官許を得てこゝに興行す葺屋町は竟永十一年甲戌村山又三郎といふもの泉州堺より来り官許を得てこゝに興行す就るに天余十三士富七月浅草へ移されその所の名を猿若町と賜
-
●ア○ら手つ○つく●フ○江戸名所揃一全ら手の○つ
-
○宝永元年板遠近道印の江戸図に両国橋今の所にかゝりて有橋手前南側矢の御蔵跡町屋と涙護国寺前音羽町家作軒を並ふ亀戸新銭座天満宮より東の方に現りてあり武江年麦巻之三畢
-
六東海道名所記ゑう入意作戸ゟ因縁を京迄の宿々名所記ス二鎌倉記沢庵作五鎌倉物語中川喜雲七江戸名所そ意作十江戸すゞめ六江戸がのこ八同惣がのこ名所大全十日本がのこ十二山城名所記本春順作一山城村鑑六京わらべ京か中川名所喜分云六同跡追同作七京すゞめ京ノ町そ意作名つくし六出来計京土産六京羽二重小島徳こゐ作六同織る同作十雄州府志太然作八名所都鳥一京江戸案内者十二大和名所記
-
きや橋社徳といふ三得や吉谷衛六角通油小路江戸日本橋南一丁め永住こふ亀や荘古門四条坊門西旧地新四郎江戸日本橋南へ干目長者町通上柳岸十も本石町二丁め甫斎といふ其外室町を始所〻にあり江戸は本町石町大坂は本町伏見町御錦屋大和錦とて由緒あるとかや金一尺代弐匁五分糸や東涙院二条下ル町一井五節左衛門糸や唐船着岸の時長崎にてかいとり八て絹や組や等らうりわたすなり所こにあり椀家具や品〻の椀折敷并弁当盆重箱提重張付障子縁事随床の縁等万塗物これをあきなふ新町二条の北にあり唐物や箸物香具革椀家くや
-
江戸為永春水著天保三閏辰年管今永夀堂西村与八行書第林春正月吉文永堂大島屋伝右エ門江戸柳川重信画公詞○○る丁るな
-
江州伊吹山の三高山る見胃市の道な関此細人も二り○御り当駅に伊いし鈴る間と其名蔵王椎理の被にり頭よ座野も余波なりら当地半移せるにや此宿の西よ道本尊其むかし休和鳥諱の傍に並にの松を載にミの如し仕見にり太同ののにをミつ開眼りしとは白川船後し也木川の粉山は古法眼の名里人にて川は尾越川書名言伝ふ坂にり鹿頭に海に入此塩を村田同明神世のには勢追江との名ゆ有又美法儀も舟うけて清足れるなの国境る坂田村川こ辺出当国彦物の第一見さく相にわた○土山右のかたな限成御度の犬山城濃れはさの糸布引山水口早請く水口進く山水らも治参へ名どやへのかまりしそこれぬ核田船し南のか道あり納打合衛門にぼし飯導寺とて山朴の本寺あこれは長良なり・合渡一り六山此間にいつぬき川ふ名所○石部右のか三上あ本田付のと也美江るあ俗に百足山と云其姿当の真桑瓜の名物かり富士の如し六地梅の木赤坂むかし絶坂長罪深坂此秘よ和中教売多付と長者治か名助菜彼りにか所るせ相身のせとよりむ人袖つしり熊後は物見の松と立すや○草津ミり春日あ井のゝ中山かけ所也さなミく関ケ原一り古銀場あ又とます立木の社とい乳母がもちや北国海道へ分る不故の里の持豊郎よ右のかた矢合渡し召有染関の藤川等名所也入す野路に川名所勢田の橋美流近江の国境を霞物語と大猪九十六る小橋サ六る有いふ柏原経井此道の此橋長はも唐はしとも古く水甚潔し香場打此る堕汁立へり橋の辺竜神の俵藤太より湖水に見え仰竟秀師の社有指の下よ大湖○鳥る九本此者多明神フハ居故のへり也山の悉く流公漬此辺布過大つ指り和に曽柱所也此者札の辻候井に関越武佐に西所也左は術道也相坂山関神又鏡とい古の走の原里かは右左は伏みへ行水るし去に石に折編花紅あ立と花の頭橋商
-
三河万歳江戸に下りて毎歳極月末の夜日本橋の南詰に集りて才翁をえらひて抱ゆるなり是を才蔵布といふ同大形治大六くもち在人間外長南高吟雑棹歎人々にともなはれて八月の十六夜三瀬に永をうかへて月みはへりしに類諷ふ歌舞妓子の年十六なりといへは美しき人も二八の十六夜月もみつまたあるものてないト養こもありまた舟もあり川もあり数はひとふたみつまたの糸同江戸橋日本橋の東にありて伊勢町より本材木町へ行間に架す南の橋詰関の角に船宿あり江戸の内諸方への船場なり又同所西の方木更津河岸と字す房州木更津淀海往還の船こゝに集ふ故に名とす四日市江戸橋と日本橋の間川より南の方の大路を云昔は四日市場といひし村にていにしへハ今の繋華の如き事なけれは万の実衒も市をなして交易せされは得かたし故に所々に其日市を立る区を名つけて某日市と云羽州のあたりには二日市と云より十日市と云追区の名につき交易せり此地も昔は毎月四の日に
-
江戸名所図会巻之三天機之部目録永田馬場日吉山王神社成田下総守長秦旧地第六天詞平川天満宮貝塚棲岸院寅薬師如来千平観世音秦川勝寺り本尊清水反清水谷柳の井富士見坂玉川の滝釣井小路桜田桜か井茶葉の井霞関旧跡溜池白山詞葵か岡霊南坂酢見後江戸見坂麻布善福寺翁王種風枝銀吉鹿鳥清水青宝了海上人紙生図一本松氷川明神社七仏薬師堂霞山稲荷詞朝日観音子安薬師如来祥雲禅寺広尾昆沙門堂先考天皇御漬石猪篭広尾原広尾水車土筆原豊沢の里鷺森神明宮氷川明神社雷電宮三駄坂松秀寺日限地蔵白尊金高野寺木西生番所二が院覚林寺清正公社興雲院生喰観春梅か茶屋花城天満宮魚一蝶墓
-
こ也むさし入あひたる所なり無双ノ景地なり金沢ハ名所にあらす六浦は名所也此うらより風与のわたしをして安房の国へわたるなりかまくらより富士は成実にみえたり年へる鶉か岡への松ののた青みにけりな春のししに手本の浦浪の瀬川かたせ川なといふ所あり細々不出名所なり銀てしよ手本の酒のかひあらは千鳥の跡を絶すとハなん御浦里共よろきの浜こよろきの磯なとゝいふ名所あり但こよろきの磯ハ大磯の辺をいふ也後桜恋六皿事まり月日はこよろきの右を
-
附言此書は祖父か寛政中の編にして父県麻呂か則補文化の末に至てなり文政の今に至て上梓の功を終りぬ凡年序を経る事三十有余年江都蕃昌に随て神社寺院境地治革するもの頗多し一向の小詞も須史に壮麗たる大社となり讒の艸庵も竜然たる荘藤となれるもの少からす或は説融の笑に罪りて楼門田廊を焼失し焼石のみ存するの類興廃枚挙すへからす然りといへとも時々是を改る事能らす故に今時の体に差へるもの多し見るものいふかる事なかれ斎藤月琴識江戸名所図会巻之一天槌之部目録武蔵国焼基日本武尊秩父岩倉山に武器を収給ふ図江戸始元御城興基大江戸東南の市街より内海を望の図元旦諸後登城図吹上御庭松原小路梅林坂平河天満官旧地八代曽河岸竜の口平田明神蒲松飛弾守宅地道三橋銭瓶橋常盤橋一石橋八橋一覧同日将木河岸本橋同魚市天王御旅所大伝馬町通町強河町三井呉服店本町蕊種店小船町大伝馬町木糸衆浮世小路十軒店同雛市本石町時の鐘堀留信勢町末河岸同陰河岸福田村旧北白旗稲荷銅千代田村旧跡千代田橋荷詞本銀町土手今川橋主り下水井氷新道神田明神旧地神田葛鎌倉町壱島屋酒后白酒を陰ふ図護持洗旧地菰淵蟋塀橋魚板橋飯田町世徳橋荷詞小川町基立小川清水神田淵田安台築土明神旧地飯田町中坂九段坂御茶の水
-
四月房州南浦黒国船漂着南京船長廿間七十八人乗といふ○骨高田宝泉守に名を積て富士山を築今月成就す○或書に五月開運星おると道○骨十四書家条田定考卒号明浦丸山妙寺○六月三日大雷雨○六月廿四日儒師松宮観山卒名後仍称主鈴大光源院に華す真美神とす六月大雨降続き号廿六日より江戸近在利根川荒川戸田川洪水村々人家を流し永代橋橋落る助船を以難を救せらる七月より米価貴し○七月朔日より回白院にて丹後天橋立成相寺聖観世音対王丸身代蔵尊開帳0九月儒師林東卒名義卿牛島福寺に葬す○月十五山明阿君京都に卒名後羽称左す右衛門年六十九才にて卒あり○武蔵志料写本成明阿君の著世百とせのなるばも何のうつゝかは思へは夢さへもなしにて年正月成し由文中に見えたり江戸の名所事人物等各部を分られたり但し金侍の物とは見えず又義が作の紫一本の後編とてあらはされし紫のゆかりとせし書あり本にて世に稀な此年間紀事堀の内妙法寺祖師追日参詣人群集す○安永始の王子駒込中辺西国写観世音札所り定む○江戸小二五所光大師巡鉾所を定む愚編米事記に詳也安永十年俳人提亭の櫛たる種おしと云句集に載る所の其時代のはやり物商物目録左に略記す△菓子屋広小路金沢本町に越後同鳥飼ましや△大仏飯田町とらや泉町とらや田町壷屋餅浅合並木軽焼願る前△蕎麦切る道正直形正吉原釣瓶治川筑は下車坂茗荷屋浅道好堺町山為長司かの内△船切町やうた屋△楊枝茶筌五佶子酒中花浅草内柳屋外料理茶屋深川屋塩濃大紋や芝口春日野しつほく神田佐物木町山藤田楽真の△飴目黒屋深川八幡宮二茶屋大橋新地楽亀甲子返雅司川屋△生簀鯉頃崎葛西太郎崎大黒屋孫に郎麩の焼からじ町屋助惣隅田川諸白並木山屋△麩芝伊皿子△御所おし御く郎はし玉屋んすし△蕎麦切豆腐木椀丁あは雪なら茶田白ゐん車下や△煎餅こりふり町翁吉きぬたん羽故浅草餅境内いくよ餅両国此外あまあり末に花鳥の名品釣の名所をも記せり○相撲取谷風桜之助小野川喜
-
江戸日本橋通一丁目須原屋戌兵衛同日本橋通二丁日山城屋佐兵衛三都同走神明前岡田屋嘉七而紅同和泉屋吉にし書物同渓圭第町二丁目須主同横山町三町目枯ゐ間屋京都寺町通橙原下ル町勝尾州名古屋本町七丁目永大坂心斎橋通麦寿町秋田
-
江戸砂子温故名跡誌巻之六治原誉鯛葛仏郎西馬西飯二十深川汝崎六間糖海ノ上名所廿一同本所牛島猿江大島廿二同中ノ卿亀戸隅田川木下川追加葛衛郎廿三下筎国真間国府台袖ノ浦中山
-
鈴木越後羊羹本町一丁日江戸誰知越後名本町入口土蔵容当時要菱多新製依テ旧羊羹天下鳴三馬江戸水近二丁目近年三馬大流行徳利往来店不ス遑売出繁昌江戸水粧成八百八町娘玉屋紅全所朱旗影本町風認得暖簾玉屋中世上人人貴寒製買来猪口幾杯紅江都奇亀君声石不二峰寒十寸所●たるて青事そ下がトイうト●
-
○崎玉郡粕壁越か谷色○多磨郡しま間のと入るの部し崎ハ舞十り○大里郡熊谷の色○入間都川越有○男衾郡棒訳と比舎の間○新座郡白る帳折のき書は非十○楼沢郡染谷の辺0高麗郡府中辺紀玉郡本八幡在盛前塩0横見郡古見辺入里となきのる○秩父郡吉四事も辺○久良岐都金沢の辺○比全部ちふと間のし入るにの○賀之都星ノ亀利根川附○璃羅判衣のれ○邪賀斯児玉と此全の間江戸砂子温故名跡誌巻之一沽涼簒縛一御曲輪みぬ大際南は限日本橋江戸橋川通北比は限駿河台神田川通二御外曲輪河東は限浅草川通小網町西は限飯田町小河町南は限芝口橋一三同河南北は限日本橋第場町東は限霊岸島鉄炮哉勢物西は限御内曲輪堀四同御城西桜田永田馬場糀町番町
-
矢橋勢田村りウ宮湖風館田大橋九十六開景小橋子六ト松原三山田浦矢橋蒲二ノ浦浦一勝所堅田坂本志所唐時浦大津と浦栗津原風兵屋の朝十も宿に屋も朝舞三図城寺毛蔵正法寺天神宮と敵鳥百
-
江戸川の鯉鯉は江都利根川隅田川をもつて勝れたりとすれども猶江戸川の魚に及す中の橋の辺乱杭の前後その大なるもの三尺に及ぶ紫鯉と美称して庻人に捕とを許されず諧因て平人其味を知るものなし重寺日本橋通一丁目須原屋茂兵衛同二丁目山城屋佐兵衛東同須原屋新兵衛都同四丁目須原屋佐助芝神明前岡田屋嘉七同和泉屋吉兵衛同和泉屋市兵衛同内野屋粥平治浅草第町須原屋伊八書林横山丁三丁目和泉屋金右衛門文馬喰町四丁目吉田屋三郎同二丁目菊屋幸三郎人形丁通乗物町菊舎幸三六
-
●ア○館馬国手つ○つ僧本江戸ご五物●フ○与まつ○つ一
-
大門通昔如地に吉原町ありし界の大門の通りなりしによりかく名つく今は飼物屋馬具師多く佳り目鐘ひとつうれぬ日もなし江戸の春其角きくや菊屋
-
草津九江戸ゟ百十声二丁平白六里吉大つ江本二百五十一匁六十二文六か人百卅二に本田中ヒ食所吐六大らつ田中カ蔵富井をはつ取右ろ陳梅や十二郎居児舞又右らつ右に美洛路木曽路の進分道有ゑ物うばか餅右に哀ばせ道是ゟ舟幡三壱り八夫ゟ大つ意明上一り余紅中の辛筆にしかた左に同の輪の油瀬田の長橋左石山道名物深五郎鮒蜜谷名所也栗津か原古欲場也本多隠備守南ハ丁ぼり衣イ大津へ一り紫にて日よし神膳を供するゆへ種所といふ古しへの煎飯也右に流有なる神の社有の内にし左に社有あいこゑに争飯をてめしたは兄の狂為山主なまりに此糖八まん牛順天皇転王五仕にり年をりン粟の帰る葉つ大津る口糸上に同し京六五文り人同七文本大海和右ろ伊語藤仁右ろ伊三郎怪名弥四昇本弥四郎兵火郎家を一関東こも坂共いふ関朱兄関三十八州大坂よ爰迄りなり町のし八といふをい小お海国中の禿物魚お未ねにび日毎に郎をなして糸都主町ね九十六論侯の蔵屋敷多し非の辻入口に城明有八分坂左に肉寺有や眼手の姫の車つたる也若時杯の条〱見へて風糸しから崎の社一ツ名浜汲に有しがの浦しがの山志がのそのし事里しがの都等一やらに有国順礼のれ所もを造坂山此所名物大津語をろ種縫計まんちら等也追お左にふしみ道有六地総毛ゟ山棒と兵滝上
-
灯ありあじろゟ御崎へ十八里ほりの大みなと内に磯二ツ有沖に羽島ありあじろゟ地方・あたみ是ゟ相模の内也▲まなづるのみなこ・江の浦○根斎川・佐川・小田糸御城下○大磯○平塚▲馬入の川口・腰越○江の島○鎌倉○長井の浜▲宮田のみなと▲小網代の湊▲油壷のみなとこゝゟみさきに近し三崎の下沖城が島有御崎る浦賀へ五里・出はなを廻りみなと有向ふが崎といふ此はなに焚火あり▲ゑなの湊入口に磯おほしの松尾は汐がゝり松尾崎のはなをとりても里はま・本賀つかゝりしかばへとい浦斐ゟ武州加な川へ七里東海第一の上湊也上口のはなに常焼有下口に磯有内入御番所有立水の観音崎ニは堂有▲申島汐がゝり也▲浦賀が四りゑの木戸の入みなと上口のはなに小島有○夏島のはな少し出る是ゟむしの内也▲金沢もとめのはな▲ゑの木戸る三り赤岸の出はなに小島あり神奈川ゟ品川へ七里・上下の入湊尤船のたで場也是より川崎・すのはな此所は夜中に見えず乗郷の口鈴が森品川は江戸へ弐里沖がゝり也橋迄町つゞき
-
録倉河岸神田様と常は第咎落の間御堀ばたをいふ常に樹信繁華なるヿいに身彳及ばず竜中る二月中句の頃豊待ややはにて白酒を殿帰くの納ときはさすがの広場中人の山をなす長まき江戸の名物なるべし青餅りむより類りは
-
画本口戸みおけこ餅広重事重寺生持江戸美やひめ三編叙凡名勝旧潰の世に顕るゝと隠るゝとは口営上地によるもの歟茶何といふに名所吉跡は山伴大和にいと多かり這は主城に逃きが故のみ今大江都の繁華る因て其名彰るゝもの幾干ぞや伊勢物語にみよしのたのむの雁と詠たしりは河越の此才とさけど人是を知ると鮮しそは大江都に遠きをもて也繁華に近き神社仏閣
-
篭悦此彼ら枚士源元の此秋のい糸事けもミえけふも見体をゑひしな天非又詞のてふしうしそ山のの大ことの切る流皮松漬松の城編しり徳ん此桔夜が坂にしのり波る此石のしい斯様し桶義仲馬をひ上り口に御所板しずと爰り富曽は宣日に質川御所有見頭賀堀江よ馬迄一者木るる三河り二宇茸折此る鳥吉田豊は爰あ往昔木る御難鳥井一り小にあり荷の社美しり此名と散糸窟なり国府村より右方此る木茂伸の城有九りにし風来るあり御油・越此る極口次郎が屋を○赤坂桁法寺縄名ゆるり跡ありる福昔阿御香所有○藤川此間右のに義元木あり昔はあやうりか信多の古戦有は有国なり小のかた御織七矢則の橋長弐る有油りミるかて里張りゝ八橋のま池鯉納三けし州の彼もらけもる山は此間に覚の麻と石の信せ川の古也有松紋ほの同の水の屋由四も詞とおるとか名内なり○鳴過よし此る呼張のがたし凡木曽治ま一の待景也かた漬星夜寒の里等名所也○須原判此間に今井郎魚平人やあらぬ○宮より桑七り海上永の古跡あ○所瓜此間機なミは昔の両天には佐付廻り又中仏道をた風景最よし三留附い鳥の後雨美すろへ廻れば最候名古屋へ了まり○篭リ質川よ馬筑光広卿な此難本名田な此まで木曽の山中な此所契田御神は神三猶の一雅を他国にまれる寒地にして絵座るします大ねにし草木穀物ま余国に滝弓煮な此辺よか屋異れり○馬り信濃美濃金城見ゆ桑か名此間国堺に薄合は美濃跡る宿田名物焼味光異也○落合か木曽を出此四日市悲るより右は京眼り平地となる中津語万著左りは集宮のさ道神戸夜り此間に根津甚平が石有杖づき坂清木谷過て衛○大井か名ち屋へ行道あり坂のに石づに取中野村み別る・大久手一り佐屋○亀に石門度の去の間木る森加賀白山名あ大縄追るは
-
数寄屋河岸の夕景牧寄屋橋御門無外にて西は大城の石壁枝里に連なり東南北はみな中中にゝて商貫軒を唐ね薨をならべと東都の蟹栄目を驚かせり就中久景は富士山膝術として高〱聳え湖中の船紙には夕湖を炊く実に一時の壮観なり
-
らず津〻浦々にて網引をなせば沖にはうかへる海士の小舟数〻に立さはぎたる村かもめ諸にあさる友千鳥の鳴かはしつゝ声〱にしやけ町やかまりや六浦の塩やく煙は山にたなびき島々入江〱に饂たう〱とみち波ゆう〱たる磯辺の松風は琴の音をしらぶるよそほひ南は海北は嶺つゞき称名寺竜花寺は他にことなる境地時えがほなる山〱のもみぢはたゞ錦をさらすがごとし拾遺に○水海に秋の山辺を移してははたばり広錦とぞみると観教が詠ぜしにことならすわれ聞及しは当地には名所旧跡其外色々様々の名物有とかや是を里人に尋ばやとおもふ外に是に翁ありわれ問ていはく当所はじめて一見の者也されば金津八景の詩歌と号し皆人賞び給へり扨八景ハいづくをさして名付へらん委をしへ給へ崩答て金津八景の詩歌世にかくれなし0濃湖夜雨とはあれに
-
江戸町口川たくありしかと皆堀川にて御城の堀をめくり日橋へ流るゝ川足一筋本川なりしかるに此川とり北東は神田明神の氏子西南は山王秋現の氏子なり江戸にいにしへはり細き流たゞ一筋あり此水神田山岸の柳原より成るなり中略此水御城堀のめぐりを流れて舟町へ落る此流に橋五ツ渡せりされとも皆たな橋にて名もき橋ともなり然も関東御うち入以後から国の帝王より日本へ勅使わたる数百人の唐人江戸へ来りたりこれらをもてなし給ふには雉子にまさる好物なとて諸国より雉子を集め給ふ此流の水上に鳥屋を作り雉子を限りなく入置ぬ其雉子屈のほとりに橋一ツ在けり夫を雉子橋と名付たり其前の町屋を雉子町といふ井の水へ塩さし入万民是をなげく事を憐み給ひ神田明神山岸の水を北東の町へ流し山王山本の流れを西南の町へ流し此二水を江戸町へあまねく与へ給ふ虎の御門より愛宿の辺田地にして酔に桜の木千万本もあり桜田といひ田の中のなかれをさくら川といひし今の源助橋其時のしるしとて残りたるとかや云く江戸町繁昌故勧進能毎月毎日怠る事なし北条五代記に云諸大名家にに一座の太夫後者なと扶持し能怠る事なし町には西は芝口東は浅草口両所に舞䑓をたておき候毎月毎日勧を能有て諸人見物し万歳楽の遊舞に寿命延年を喜ひあへり江戸町に大谷集人といふもの居風呂といふものをたくみ出す見聞集に旧跡は浅草親世音湯島天神神田明神貝塚山王権現桜田山にあたご増上寺吉祥寺広誰寺弥勤寺東光院常東寺本願寺と
-
日本橋諸方江行程品川口二里池上口三里芝大仏一里八丁目黒シ二里増上寺二十九丁愛岩口二十八丁山王三十五丁浅草寺里隅田川江一里半千任二里東鹿山十丁湯島天神シ二十五丁袖田明神江十八丁江戸方角略図駒込富士口一里十二干王子江二里八丁編角の郎川湯田亀戸本町両国橋田院本所卵立川逆井著語髪亀戸天神江一里廿丁護国寺ウ一里十五干深川八幡口二十一丁雑目一里羊五百羅漢口一里十五丁市ケ谷八幡一里目一里七丁真間三里五丁大木戸二里渋谷金王桜口二里
-
江戸見坂江都第一の岳にしてこゝ也登ねば江戸中一眼に見するゆゑこの名ありとぞ
-
洛陽名一な集巻之六目録天城蔵書宇治里宇治川橋橋姫款久々瀬橋小島崎平等院観音堂扇芝釣腐恵心院興聖王寺離宮八蟠宇治山御室戸朝日山槙島釣月巨槙秩鰭河八隔石清水疲神放生川八幡山楠木男山男塚女塚伯山野渡蟹満寺木津川椎森蝕愚衣手杜井手王井玉川泉川渋喜へ久跡都笠置莨
-
一図中の間に人物の大画あり四時の佳観を賞して遊楽の地を知せんためえ洛東の花見宇治蛍将等也一図中の名所に連綿の地あり囲の上に円原をいてこれを繋く八幡神宮寺より宿院石清水あるひは宇治の橋寺恵心院興聖寺なとの連綿の地也一比叡山の図あり東塔坂本はみな近江也しかれども西塔より連綿の地にして除くヿ能はず山崎谷観音も摂州の界なれども連綿たればこれを図す都名所図会巻之一目録平安城首内裏図上御霊中川相国寺定家卿庵法然水京極八幡幸神社糸井妙覚寺妙蓮寺妙顕寺本法寺千宗佐家大応寺後花国を院陵報恩寺堀川一条戻橋小野小町草紙洗水安信清明社水火天神興聖寺端光院浅野家家臣替本降寺桜葉宮石像寺家陸卿巻歓喜寺石神社聚楽亭旧地般舟院式子内親王塚定家口塚時雨の串西陣織物体浄福寺大起寺阿弥陀寺十念寺本満寺盧山寺浄華院下御霊草堂清荒神高田本誓寺妙満寺本能寺信長塔頂妙寺源三位頼政旧跡
-
お久そまめつとあめ立のく此大紫名所でうりき女〱大あ所ゝおさく子にさるを見せとも有かかるゝて七やく行此若ご仁吉門云けた敷てなはひたり角之芝居座本中村鶴之助西村板譬堂島救入浜由村立両
-
橋有是より足柄越り▲草津同栗太郡ゟ大津へ三里筆六行道あり足柄山はふしの草ほに常谷寺といふ浄出とをりより少北に丸山有寺あり寺領五十石附り○札坂ははこねよりさかしけれの辻爰を追分といふ東海道とも山ひきくて坂短し中山道のわかれ也右の方○前河村伊豆の島みゆる明神社あり立木の社といふ○押切し是より海辺也春日と同し正一位木神今真名鶴が崎土肥なとみゆるに藤かづらを以て神の愛草石橋山有頼朝合戦の所となせり○失倉名やはせ道なり相州の内也東鑑に鞭崎は幡あり天武帝白鳳見えたり根符川越あた年中の鎮座也0野路名所みの湯此辺にあり伊豆なり古歌有此辺にあふかの御山も土肥のさきに有ひの茶屋月の橋の池あり名所也沖に伊豆の大島0大かめ川0新田0かた木みゆる大島は南北五里東はら○大江村0勢田是ゟ西三里江戸へ四十里有大つ札の辻へ壱里半あり
-
品川糖河崎のへ二里半大津雁召十津三里半町のうら御てんに婦三井守道東海る立バ里北油上道茶やまの大御半坂本道舞さはづ石場矢はよりろあまた畿仲る并舟け所にすくはありるがは堀ばてをつかん三春湯の日を打ずの漬といふ参色甚あらい後といにハのははよし大池上名物五川のり巻だかなき成南小本門すゞのもり阿ん酢かた九里を西八九里或は八ま一一四也八に不入討村あハ張亀形に似たりやわた粒松程所本な隠る石山斎瀬田立バ新鳥井門村きりぶね於神小橋一立バ大もり天神田平取は同張何大橋○和中ねやあり主部得神だ水道庵辺かまむぎはら同のわのず大江盆いろくうるうばし松新宿立ば日のは新田高ざかまだと云き村大かめ茶やしう灯にごり大加め川比の中バとびのミや郷大神のち矢立バ松二立ば松うばもちや里〽茶やわたし矢食矢ばせたにばへ廿五立木大御ね
-
江戸色画やはるかに松英見ゆる島の浦小春日や和木人鉄物心ろひもに一時重風や出て行見外茶のおとろ髪雉子なくや工千せ布納明星ひとつ山の上こかしらにのつほり出ゆ琴台餅の入日かれ暮たれは弁ともりぬはるの海江戸一雅棚り見てゝもとる酒千の煮火葉松前和る消はてゝさゝん波よする松別一甫ととゝの那水仙や重以下総難知中にも葉のふとり出たまゝてく徳梅十時白に逢ぬ釣小舟若以衆の夜幽道やなくな鳥ね人沙鶴春の雪風の平と成りけけり江戸貞へ乏若狭麓薄浦
-
落賀鳥居道此処根尊宮川かち滝荒神山糖山崎城跡山深左つ薦篭町つゝら細工す四十九治村取棚村ゑた村其極村語多し中宿うそ川はし有近夢川江佐百廿一り本百廿一文四丁か七七に又戸つ江二り半糸十三り半人五十九文屋御川甚五左つ当名物煎跡を一後茶と云ゑち川かち渡畑村者し屋村川由井村建部大明神作か山の麓村石清清か鼻と云米はぜを紙袋入かる右の山関と賀神とて佐に木を神に祝たる社有此佐に木承彼根城也礼三十一番札所也佐々木の誠跡あり大磯村西正木村近武佐もり山江名百廿本百十二文百四十又四佐右門江三り半京十一り人百六文度三上遠藤但馬守江名小武佐ゟ御附下川七門当馬道具多し巻も出る物を川右時智安村ふと位長海手八幡村津田村木村馬村砂渡馬横関村川有為の呑寺川大河也出町村鏡山鏡山村茶屋有餅村名境有島海か橋有鐘の宿古へ難也六る丸投宿家有に漉見村大際原平宗盛塚同首洗の池有浄所此所の生土神也底の棒村川有胃山辻町村左むかで山ありに坂桑や安川か長渡高山には船渡し也を守山草つ江百廿りく九二文四二六十文五右つ江一糸七り人四六御本宇野つ馬通多し近江菜を作る古道あり永名道也左に東海道右にばせ道角屋か守山川かち渡り吉川板橋有ゑんまの村右にゑんま二村瀬戸村庭そ村左に天王社有此村にぎり善名ぶつな盗川村落のい村右に日大明神の秋有草津口に札の辻あり右は中山道左は東海道追分な近草津候江百廿八り二百五十一文二文四九兵衛江大ほ二り半京六り半人百二十十六文屋又八○江戸部は房総の東は出羽奥州仙篭松ゆ金を山南部は日光筑波山谷寺高田長岡会津米沢の田新村上山形か月山れ黒山湯殿山酒本保湊に至る神の仏開御傾主の清名御江戸故すへ往銀道海路形附まで朱引にそひと内しす事なく物しるす
-
野与海接海与天連者是皆公几案間一物耳以故軒之南名静勝東名泊船俗に伝ふ道薩の舟繋松その処にあらずといへども酒和亭を記りいふ歟村庵詩云商船似自平蒸過漁火如シ従り遠樹来景管詩ニ云風帆多少載詩去吹雪士挙晴堕江ニこの他臨江の詠ならぬもなしかゝれば江戸の戸はみなと又とまりのとなるべし文明以往城邑ならざりし日は江戸と唱たる処今戸花川戸を見て推はからるしかるに二百年来大江戸の槃昌なる漢土長安の万戸といふともこれにますヿあらじかし願ふに今の大江戸は昔の江戸にしてむかしの江戸にあらず昔の江戸に生れずして今の大江戸に生れむかしの時にあはずして今のおん時にあへり分を守り足るとを思へば微躯にあまれる福にぞありける玄同放言巻之一下終
-
小金井橋は小金井邑の地に儒て流るゝ所の玉川上水の素堀に架す故にか此名あり岸を夾む桜花は数千株の梢を並へ落英浜紛たり開花の時此橋上より眺望すれは雪とちり雲とまかひて一目千里別後尽る際をしらす仍て都下の騒人遠を厭すしてこゝよ遊賞するもの少からすう橋頭酒を焼め茶を煮るの両三店あり遊人或ハ憩ひ或ハ宿す返春の夜ハさくらにあけてしまひけり芭蕉い
-
京にるえ筆帰しま道九十八外五宿元伊勢の図外く雄五はい守のかろ也せ宿ありでい廿て年神神にて斐年七月ゆへ七り今うのいせにういつするに本せといふめい所はうのいせと同しる也杉廿光寺休衛をか衣休○嘉山山中の客四休か休せきから休六五つ宿菓や六兵へ油や次右エ門此所ゟ名所めくりむ戸の文染道あ糸町保○犬のまわの鶏つる○身投石○浅の浦○片枝の松・竜語松○切戸文殊長百てき神文を百文曲也夏女夫松・命の浦天橋立○指養神○江屏浦と一の色此名所旧跡多し日本三景天橋立
-
常盤橋と呉腹橋とのば中央にあるを一石橋といふ後藤両家左右にあり八ツ見これを五斗に橋のとりなしてかくは名づくるもの也とぞ景此辺より見わたせバ一目に橋の八ツ見ゆる放に俚佶にこの称あり
-
顔を見せす息女達七才已後他人にまみへす女子計付置若出る時は覆面をかくる也明暦の頃迄はしんめう腰元かつきをてありきしに万治のすより江戸中止む大火事わ後ふくめんの上に玉ぶちといふ箸をかむり御旗本衆も玉ぶちと云編笠はやり着す寛文の頃に松坂といふ笠処宝の頃に熊谷笠こもそうなとはり八分返り箱はやり又天和の頃貞享の頃より編笠止高菅笠になる段上下共に菅笠に成る云〻大身は格別身の人は侍衆上下ともいに上々下ヒは袴計着し役を取て歩行する人もあり又は柿の三尺手拭にて鉢巻ねしける人もあり中間は一寸出るにも高端折てかる云〻昔〱物かたりに此時世の風俗雑事くはしくし記りを年印行して世人の知る所ゆへ略す会稲毛領中丸子村羽黒現は天正中の勧請なりといふ茶応の頃奥州つのとにて小歌三蔵といふ道中の馬かた中風を煩ひ足なへて行歩叶はず歯落て言語分らす終に非人とこの所に来りしろめ内社を祈りてふ思儀の霊強を得落たる立地に生し行歩自在となるよつて当社に奉仕して香花を献り又詣人へ神符なとあたへけれは江戸并を在の諸人参群集する事県しかりしに明暦三年江戸大火の後自らにして参詣絶りそ茶応二年刊行の江戸図に誓願寺今小柳町の所なりたと浅草御門内馬喰町の辺に雲光院弥勤寺唯念寺ゑんわうゐん聖徳寺海安寺せんとくじ願数日輪寺知足院在り神田川の今云新らし橋をくわんじん橋神田橋を大炊殿橋と記り日本橋西沙岸は南槙町迄の町屋の内後藤源左衛つ呉服橋道宅永なり玄宅騨庵甫庵おひこせイフン玄淋鍛治橋外にかのほうげん通一丁東うら木はら同二丁東側くしもと弓町裏くわんせ三十郎いづも町西裏金春郎とあり其北を八間町又竹川町の北にも八間町有山御旅所今の辺にあり海賊橋辺より南丁堀辺寺院実永の図に方
-
来る海要寺紅葉有さみづ川●給ケ虫此所に御仕置場有右八播の社有●いりやまず村八播村大森村此辺にて干のりを製す浅草のりといふ麦はら細工有名物也・かまた村六卿なわて・六郷川舟渡し一人前十二文ツヽ右のかた矢口村也新田大明神の社有義興の霊を祭る矢口の渡し有川上ハ武蔵の玉川也御上水の水上也頭戯川崎金川へ口百平交二里羊○八十八人猪△六十七又樹同藤右ろ郡屋彦十郎定宿江戸ゟ四里羊道大てい宿よし宿入口たりの方に大師かハら道一里なり弥法大師自作の像江戸ゟ参詣多し八丁縄手●市場村の鶴見村橋ありよねまんぢう名物○生麦村は子安村入川村左り海手に本枚の十二天の霞有景よき所也●新町右の方に浦島塚有同加奈川程ケ名へ口五十九人○三十八人一里九丁△三十文故同源左ろ屋藤太門定宿江戸ゟ七里道大てい魚入によし右の方本覚寺黒こすりいつが●青木町●軽井沢右
-
静川のわたし場より凡十町ばかりにあり水縁田原卿の山中より出て郷口荒木田原川高尾を経て宇治川に会流す此流宇治川に入ところを土人出合といふ往耒に土橋ありて下にハ巌石岨ちその風景いわんかたなし此橋の下にをりて石上に茶を煮瓢を傾けて於宴し山水の奇観をたのしむ人多し○右田原川の出会より奥屏風岩紅葉が聞千東岩不動岩等をはじめ上の米かし鹿飛銚子口にいたるまでの間奇石怪巌をくわしく真早し薪流しの光景獺穴犬戻の難所を帝し続て出す著述浪華暁晴翁書図同松川半山傭筆皇都田酔八翁宇治川両岸一覚巻之終究摺師松風会美輔文久三癸交年摩春発行江戸日本橋通ご一目書山城屋佐兵衛京老麩屋町姉ふ銀俵や清兵漸肆大坂心高橋通小久其郎町河内や士埒立衛
-
○日本はし一本まつ麻布○富士見坂小石川するが台○柴井丁楽やしんミち○横山丁立川本所○箔屋丁仏店上野山下○尾張丁大根はたけ本郷○月のみさき三明石はしつきち○万年はし亀戸○竹町松屋丁○銀座丁新銭坐○柳原みとり丁○長崎丁丸此○けいせも座駒込かふつや敷本卿○日蔭丁小日向○地蔵橋はこ堀六道辻青け○照降丁合羽坂市谷○鎧渡具足丁○むろ早梅ほり本所○思案はし引込丁深川○竃河岸釜屋堀○姿見の橋衣給坂○数妻屋町御茶の水
-
筆とらて見にハ涼し松のふり慎我称名上寸同所青葉の紅葉山姫のねたミなうけそ音桃曳尾○相模戸堺八卅一稲堺の戸塚に続く田守哉其か用蔦ふくや松の戸塚の這入口祇空この物左り鎌倉筋かつを英一蝶慰みも水鶏の戸降泊りより柳居○鎌倉山里星月夜海鰹京鎌人君の名所博しや杜らう原松古昼顔や穴の所謂を鎌倉ろ青峨鎌人君のひとつ〱に四月哉乾什
-
神江尻に巴川といふ有ちごはしと云川下へ五六丁行は清水髪地なり三祝へ一り松原は笠ハ一後横二十丁計有一をに松なり小鐘銘ハ秋道春なり野駒あり皆くりけになりといふ中和三保名所古跡入多し尋ぬべし涙村津津△合清水ヨヨセ大様ひ艸雅山より府中白出るミち法清木のの江屍庵山有沢郡馬大小用同府中
-
語永城三宅備同詞引五七治中を強めと女名川畝編春物五一万六余三州田印江戸口リ本五里十左丁源館国田発著米台丹後間元治元子守十目十音弓黒押地長もれ白か午御ち川午笠田丁大御巻頭両大坂一百二千石武小金沢江戸ヨき十四里
-
湖のはたより比叡山坂本書には見えす委き事は八王子堅田し賀唐崎の鎌倉志に鎌倉大草子一つ松三井寺の上の長等を引て詳に出せり○藤山など見え好景也是ゟ沢よりかまくらへ行道あり矢橋へ一里に渡し有○藤沢より鎌倉へ行には絵石場小川三つあり其内の島へかゝりては腰越よりもろこ川といふ小川のまへつ極果守の切通を通り三かた右の方に木曽義仲里半有甘縄通りは建の墓あり俳諧師芭蕉長寺円覚寺の前を通る翁の墓も有今義仲寺二里あり藤沢より江島へといふ少き寺有○膳所一里有藤沢の台の上より歌におものゝ浜とよめるはかまくらみゆる又三浦の此辺也拾遺に兼感歌みさきみゆる絵の島の西ありハ幡宮新羅明神のに出たる崎なり0車田こ社なと有○中荘村0膳所れより南江の島へ出つ○城左小ありもと此城は敷地0かとり○四つ谷此
-
江戸方角略図巻御役屋敷第御高れ場江府町名目之附分十六門商売附市中ノ神社寺院古跡二寺社門前地町屋町年寄十八組名主附弁草分古来名主類聚拾瑣続江戸す南方二
-
長十十二間京川橋あり弁川右に浅るのありなくり此辺花ご比織しふ実名家一二折くつべの内也左に妙里寺とて日上への父黄名の重ゑの寺ありつべこあやを袋井江十九り百丁八問江り半糸六十六人六八文百六十六文五十三文から百九文屋八兵衛横酒賀城主西尾源波守くら袋井ゟ入御本津田代八良為太田八同八衛昔地四にして中に田ありて袋の如し其大な泉あり故に袋井といふ西立ば町はつれに橋有長サ三間川井村木雨村六に熊野権現山つありれ領四十西島かの橋長サ四十七間名也三香野坂二丁程有みかの村大久保三本松うどんそば切と上の原古越湯也坂勇士の誉有し所浜近有東坂遠見漬附松江六十り半本三百五十一軽百廿九文百八文三江口四七糸六十四人百七十四から六十八文屋十右つ御本津神三郎木孫衛富士山あらはミゆゆへ見附といふ見をを今の浦といふ町異川壱里をき道あ行道旅人往来に制也千王坂町中川二間出口長十二間西坂さかい松まん頭有中泉大ての是ゟ横すか三大乗院むら小坂あも能村左にかけ塚道有宮の一長もりむら当駅名物うなぎ左の方浜名橋跡八は敷程の石にあり橋本心の山を天神山といふ其つきを高師山と源昔頼朝洛の時梶京季にり遠見したる跡也山四五間斗のあり橋本長者か屋敷風とあり頼朝茶の湯に用ひし名水高師はを州の境なり吉田の新田元白すか汐見坂地篭堂あ遠江滝目の前に見へ富士山も見へて京地也当名つ納豆製法江戸の寺納豆に似たとも味美ならずを白賀江治本百久川六八百十八文江五十四人五から五文集御本陣大村荘左つ眼佐原伝つ当駅は砂の集たる所をいふ故洲賀と書へし賀助此宿初汐み坂の下にありえ禄年中つなし移しな今も元白かいふありて立場猿かばゝ名ぶつ柏もち左右山にて小松多し尤京地也堺川三粉境なり此辺をかい坂といふ一里山一里塚東海道一りのあひた人家なきは此処ばかり也二川入口に小様あり東立ば
-
形大のりイ山本半蔵品川ウ村田や伝左門小町二江戸島や藤兵へ佐為仕諸方見物何るも都念よろしく安内理客一人まへ三百文ヅヽ右島や藤かへ方へ頼むべし入日光道中両部仙だい道四芋日○江戸独案内両国橋日木ばし御蝶隅田川三関稲花木母寺梅若つるまちら山竜無量太会湯島聖堂島の䑓羅かん寺不忍他目黒ふどう浅月んゑは山草観音御茶水神田明神芝増上古新よし糸ゑもん瑠ゆしま天神東本願寺三十三間置浅草清水寺御殿山しな川行徳塩浜○名ぶつ紫そめ浅草海苦芝さかな江戸元ゆひ川口堀荒和布神奈川海鼠鰹目黒御病もち飛かのと紙左ばこ入錦ミ取岩拠孫そバ
-
都名所図会巻之五目録前朱雀八幡疫神参神宮寺放生川餌飼地蔵常盤地蔵狐川渡宿院疫神堂阿弥陀堂下高良社鳩峰八幡宮石清水上高良社琴塔景清塚細橋影向桜滝本坊旧跡御祭礼図故生会来由志水正法寺女郎花塚淀姫社大荒木森浮田森淀川水車夜舟図城南社秋の山竹田北向不動院美福門院墓西行寺西行桜安楽寿院冠石碁盤梅鐘木町墨染墨染寺墨染桜城山様の名所梅谷梅の名所深草少将旧跡
-
有田畑橋此也なるみ潟宵月のはま夜さむの里星崎松風の里名所なり笠寺村天林山笠覆寺俗かさ寺といふ本尊笠を召たまふ観音也左のかたに野間のうつみあり戸部村左り天王社有山崎村左り湯あみ地蔵有・井戸田村宮縄手・築お丁さんたはし此川をそうづ川といふはしのきわ右大こくやしろたり三途川然童あり日宮くわなく海上七里頭同屋稲葉深三郎強村呑たろ定宿伊左ろ江戸八十本リ十六丁道よ宿よし右にれいの宮源太事社ゑびす大こくの社あり右へ行道は名古屋あつた社津島天王佐屋廻りの道なり左りは船乗場大鳥居舟目当の高やくら灯篭あり浜御殿あり舟番所有宮ゟ桑名迄船賃付乗合壱人前五十四又むしろ一枚三百三十八文荷ひ物何み一荷五十四又
-
庭の池にあり○牛田村狭奈梅樹あり堂前絶景也岐明神の社有0今村○大○横すかよこすか松はら○浜茶屋此東に足助と云在鳩うち川左の波打きはを所有吉良も此辺に近し袖師浦といへり緩河風○尾崎の江0鵜頭坂是ゟ名古屋みら土記に久能浦より御穂左に有七里有○西矢鰆村0矢轎宿呉服の社前迄行程七浄瑠璃の石侭道の右にあり里の間を有渡の浜と○矢縞橋弐百八間あり○はいひ有渡の浜より東をつてら村0鴨田薮田井ノ口袖師の浦と名付とあり井田なと此辺也左の方に筆○すゝき島0庵原川かち母の古城あり挙母の里名所也渡り此川上に庵原村あり▲岡崎より藤河へ一里半頼朝の時庵原左衛門か居町入口に松葉川有右の方城たり所なりといふ庵原あり0かけの郷0太平村河又伊穂原ともかけり○橋有此川昔はおほや川とあい染川橋有○三保松いふしよ此川より一里斗北の原三保或は御穂美髪
-
花過て社地のしまりやお女石素外水戸海道ほとゝきす水戸海道も夜舟也山店○下総真間の楓江法寺堂前ニ有フ五十六日蓮の歌にも見えす若楓史部さひしさに涼しき去は間の守構ゝ大木やはつれ〱ハいち楓山店青くとも去い間から渡せ星の橋吉門我まゝに染て尊きもみち哉紫鳳茂りたつ気力や去い間の老楓素外能橋中浦入にの橋や田艸もとらぬそゝろ水山店
-
真崎禍荷之景石浜の座といふ木立ふかき所に朝日神明の御やしろ立せ給ふ図する所真崎稲荷の社頭なり近年は茶屋多くありて椒理に風流をつくすゆへ専ら江戸のあそび所とせり殊に一夏日はすゞゝみ舟皆此所につなぎて遊興するヿ日候夜たゆるヿしな新吉原之景色明暦年中番地にうつさるゝ此内をくるはといふ二町四方のかこみのうち五丁のまち有大門よりすぐにある町を中の町といふ遊女町を江戸町京町すみ町といふあげや町はあげやありて其にぎはひまかとにきけんじやうのたのしみといふも此外にはあるべからずまヿに太平の御代
-
○本所万治二亥の年此地をひらかせゝれ武士屋敷国屋軒を並たりしに天和二第故あつて士民の居宅引はらはれ田国となりて野飼の牛の声入〱する臼の歌のいと淋しかりけるにえ禄元のま長より元のとくなしかへされ今に至て益槃栄ひ地と成る或人の云むかしは本荘と書しを一胡田園と嚢じふたらひに沢に浴し本所へ帰りたるを賀して今本所と書よし○安宅本所御船蔵前今此地の惣名と士手通りは御水主衆伊居山伏町一丁あり寛文のはしめて無宅丸の御船をおかれし所▲抑此御船は庶長いむかし伊豆の国にうちそめ寛永のはし就し奉る広大の御船なれは御蔵へハ入す此所に繋がれし一とせ大嵐入吹たる夜あまたの鍋をりて伊豆の海をさし馳けるを三崎の番所にてとりとゝめやると其後は糖風除をしつらはれ又此所に置るわたり二三尺ほとの職の大鎖四五十条をひつなかる古老ノ云その頃此鎖大路にまたがりてありし道行人これを屏るに随の力量の者地をはなす事やう〱一隈也隈連りてあぐる者はあらずと御船常は薺をひかこはれし也三重の御矢倉あり御座の間御書院諸番所諸役所御釜殿御鹿并馬なかまへらけるとそ折ふし飾らせらるゝ事あり諸人拝見をゆるさせられしも冤文のはしめなりける御材木蔵享保十九寅猿にうつさる海の地御米蔵奇封流閣石糸大川はた最上刑部殿看楼の号稀崎先生その記を作り風景を称す文集に見○藤屋敷大川通り松浦家の弟宅を云むかし栄の藤ありしよし古老いひつたり此館に大木の椎あるゆへ椎の木屋敷と云名やきしき也輔隅田川江房第一の名所詩歌多し文の比尭恵法師爰に来りて浪のうむかしをとへはすみた川宴や白き鳥のなミたに開屋の里寄牛田の風に此里の海とて堤のうへに松二三本あり名庵崎やすみた河原に日ハくれぬ関屋の里に宿やからまし光俊
-
絵本口戸ミゆけ五後し磨重事金幸堂梓江戸美やげ五編叙およそ江都の名所古跡は百をもて算ふべし然りといへども土地の広狭あるひは林泉の容により人得て是を称せざるは今省きて落に載ず神社仏闇の如きもしかり今この編に寓す処は春ともいはず厚ともいはず秋冬かけての肌望あり騒人遊客常に集会ふ専ら遊観の地を択み
-
絵本松戸みゆ五湯に磨重章金幸星梓江戸美やげ丑編叙およそ江都の名所古跡は百をもて算ふべし然りとい人ども生地の広狭あるひは林泉の容により人得て是を称せざるは今省きて落に載ず神社仏閣の如きもしかり今この編に寓す処は春ともいはに厚ともいはず秋冬かけての眺座あり騒人遊客常に集会不専ら遊観の地を択み
-
○御役屋敷御部定所辰ノ口○雨御町奉行所数奇屋橋の内常盤橋の内○火消御役屋舗○八代曽河岸○御茶の水○駿河台○小川町○飯田町○市谷左内坂○麹町一目○四谷御門内赤坂御門外○溜池の上以上十ケ所○御書替御役屋敷二りほる○御曽請定小尾一かり辰ノ口○御高札場○常盤橋に○日本橋角保○浅草拾内○筋違橋内○商輔喰違○半蔵御門外以上六か所○江府町名目商売附市中の神社寺院古海名主附并組合寺社門前地町屋本町二丁目樽屋藤左衛門○江戸町年寄月音一月替同一丁目奈良屋市右衛門同三丁目㐂多村彦右衛門○名主十八組名主支配の町々の所に合印を以記ス但寺社御支砂のか名年は組の自也凡大を記す本町石町白銀町室町本船町一番組小船町大伝馬町塩江町小網町箱崎町三河町穂倉町衛閑町染篩町にら構小伝馬町馬喰町横山町米沢町田所町二番組堺町大坂町高砂町富沢町渓町拵橘町村松町橋本町神田殊屋町入
-
月になそらへ利物の花ふさにほひふかくむかしにかはらぬ霊社となれり△当社旧地は前羽橋の辺山神明と客也△或人の云此所はむかし宮倉ありその所にやしろ建ツよつてに飯倉神明といふ旧記日宣化天皇為民ノ設ケ干諸国穀倉ヲ救洪畢ヲと也此穀倉の事なるへし△生姜市毎年九月十四日より十六日まてのる祭にてろふ市の産曲物入小櫃臼杵木鉢菓土生姜専にせうかを求むる本朝医方伊姜去穢悪通神明ニとあれはかやうの事にての例なるし○合海山青松寺のうしろの山なり切通坂坊等と青松寺の間の坂之○幸稲荷切通坂のうへ神主長岡伊与近辺十三町の産土袖当所はほとゝたすの名所し云○桜川愛宿の麓青松寺前の流宇田川につゝくむかしさくら田は桜木多しと風土記に見ゝたりその桜田の流なれはさくら川といふ也むかしはまほとの川なりしか江房繁栄にしたかひ川をせはめて大家のやしきとなれり大永四年北条氏綱と上杉朝興高翰か原にて合茂の時条の勢を洪谷よりまはして江戸より寄せけるによりて上杉理をうしなふとありその時宇田川和泉守降参と也そのゝち北条亡て其臣流浪し江戸の町にありて所の長などくなりしと也其多川町の名主宇多川氏は和家守の子ねといへりその外益田磯崎なと云名主みな北条の家臣入流候○新馬場青松寺の門前より鳩上寺の裏門前の間所はしめは大名衆のやしきゝし享保の始比広小ろになる○佐久間小路兼房町ゟ増寺の裏門へ行か通り也み袋此一ツに佐久る家のやしきあり外大名の家敷もあれといしてか
-
三日本橋南芽場霊巌島鉄炮洲築地○日本橋封塩蔵日橋と江戸橋の間川はた根通六七尺がほど石垣にして屋根附芝蔵戸前也町羊歌の持○四日市江戸はし南請広にろの所此所むかしは四日市場と云村にて四々人日市立し所と云つたふその違風なるにや今も瓜西瓜冬瓜蜜柑大根なとの前朝ものあるびは門松正月かさり物の市立爰に諸まへのかし舟あり○或部小路日本はし南干目の新道を云鹿児島稲荷久志本瓜屋敷の内に有実永平中松平大隅寺殿やしきよ欲詰す屋身の絵守々也○中橋日本はしよ四丁南也共より糸はしへ四丁あり殿橋のうつ中なるゆへに云橋はなし○知葉川此所東の堀そ云此所にて成る御我木町の入勢也○鷹橋右の門前本杖木町四十目と目の間北のはし結に煉屏少あり覚文の漬御鷹野の時御腰かけさせられし場所なりと云つたふ○越十橋松平越中守殿やしきの前のはし也中の橋川瀬石町のへおなしせにからる○海賊橋又将盗橋又石橋とも云肴物町ゟ坂本時へ渡すむかし桑はしつめに海賊御奉行向井将足殿のやしきありまへかたは石はしの○池蔵橋と十紙同餅の入堀にかゝる○譲の井桶助にあり其場に不詳古鹿子云日本橋かり京はしかきりての名水にて夏月には茶碗に一杯を青銅一銭にいゆるよつて富家となり子孫にゆつるゆへにたとすし有そのころは堀抜の井江扇にまれなりと見ゝたり○観世稲荷京橋南一丁目よこ町製世太夫やしきの長る之尤奇端あるよし也古鹿子にも見ゝた
-
みなげし亭也とび罷石等題湖いま寺之かたゑう治川のれと風数かねひらつ三里もつ糸四やをしねとうゐ村りくう中き利栗津瀬なま結所
-
新宿の渡し場年前図小梅の引舟を過てこの所へ出る川幅凡そ一町ばかり料花夏秋洪水なれば理河原に鋤々として海に似たり屋これ水戸街道の出け津を名尊き料理や等わたりていと賑はし
-
序書庭西湖は座士の古跡にして其所を林見る者すくなしされは頃摩や明石の真丸月にはしかさるべし鳥かならあつまの春信筆に絵右江戸土産其後篇なり花の御江戸の四王は
-
稲荷街道とも号す又此所より左へとりて下板橋を渡りて車道に出北に上る是則東洞院通にして竹田衝道といふ西六条に趣くものハ六軒茶屋の南の方より西によぎりて竹田村をすぎ稲荷の御旅所より油小路通にいづる俗にこれを西竹田道といふ今富橋京橋の南の浜より中書島に架す橋行十八間幅一間六尺寸一此西詰にも船宿軒をつらねてにぎわし島達菜橋の南にあり文禄年間向鳥に星をきづくといふは此中書鳥の中書地なりといふ遶長のはじめ伏見の城と共に減亡とり此地ハ年久しく荒廃の地となりしを後世遊女町となりて古への江口神崎に隼へ駿客の船をとゞめ婢媚たる妓婦等柳の陰に觴をめぐらし花の下に袖を朝へす歌舞吹弾の音たゆる事なく別て上りの水主船長はこらに遊びて淀河の労を勲むるなるべし弁財天社中書じまミあり真吉宗にして跟闕三宝院に属し長建寺と弓す弁財天の尊像は弘法大師の作なりといふいにらへは修夥道なりしが寒永年中隆心和尚今の如く再建せり毎歳六月廿五日ハ当社の祭礼にし此島の賑ひ言んかたなし所謂大紋日なり伏見陵宝来ばしの東元村木町松林院の後にあり後花国院の皇妃嘉妾門院信干の墓なり内大臣藤原信定公の女にして後土御門院の御丑なり松林院は陵より後の達立にして今浄土宗百万遍に属す平橋元ざい木町の東ミあり北詰を弾正町といひ南詰を平戸町といふ又平戸町戸の裏手を弾正鳥といふ按るに伏見の城のありし時平戸町は眼前の松浦家のやしき有し故か弾正町弾正鳥は洩野家のやしき有しならんかし当所にはかゝる遺名の地多し
-
同次賀二川へ一里福録舌の越へ一里半十六丁説此宿え縁ね中朝見坂のく村しし下ゝより此所名物やきにうつる日○かんひやかか名や○切はもち御関所亭録猿が馬場御目所つ来の辛を江者女何鉄塩改興福頭斉さ積るの指東海道新町そほほ御な方は松手や立は里山目所の上田は仲三治庵一村ごとし御呑れ仕池尻村恋一りをのはけ物理四糸山山村新つかといふり堪ミへ母木な居上田位せ城雑茶斎村所なり十五大禿詳両方の塩松萩得がたトしんりのなり八栗千村山上に物二門まてのに似たる石のてへ詳間山家なし大石ハ川か心付ゆへて山にて山上事のやる爰の内ばかりき祥婦小須村ゆる也庵立岩山上一木君大州神社あり八はて敷の鏡石あり美原野村酔杉三木なしひぐちす
-
○○○十つきぢ○○下大つか下ふか川京都御所司代拾万石勢州発名江戸日リ神総供九十四里余松平台岐守廿已未同かるめ日かこ此黒飛の白上小川下深川か昌岩川編小物時眼馬代蔵日三万石伊治戸コリ荷語自田久松氏信原付本国三河目之間文久二戌○○松平太蔵捕八月十九日行かこ地飯白○御松源三郎上光と川み坂上中太くぼ○下岩川二条御万総多古江而ヨリ里
-
白象となるやに口の舟の雪丹波宗貞川舟をとめて江口の蹄哉書山惜むかや刈国に厚のやとりさへ素外○長柄の橋なからの橋はよめり折こなきよし古くかり橋も作れ長物の厚水大坂保友涼しさを見よと長柄に様もしな京我黒難波都海による読合多し○ア廿一○堀江橋都鳥今地江と云所にあらす木津付也とそ候くる〱と塩江の鶴の浮世哉古山夕四天王土寸難波寺亀井の水石の舞台楽のミ冬都に恥ぬい花さかり大坂助音黄鐘のもなかや鐘も月の秋好道番匠のはしめや花のぬきたるき園女天王寺鐘のわさととえる程や秋の鐘文朝白台の光りハ知らし右サ蕪平砂
-
浮間町富士漬間社あり又の頭に猿田彦神降石あり神宝に雌雄のおう石有大サ三寸佐三ね橋合の橋なり此所むかしは必地也川村此所江尻七里に紫ちんの乗掛百五十又人五む早くしけれとも西風の外祭べからす西田村の海辺ふ本松といふ六代御前の塚あり田是より大村つき也豆からの辺りの山を戦重にもかたなりたる書山といふあけどのゝ画や松永京の東今す村の左緩心いり興国寺舌路なり三本杉天すが涼石江名卅一軽二百三文百卅本百六に問名ろ河三り糸九十四人百二文たつ御渡平つ士南は中の嫉原をれは此名あり京吉云㐂内町屋新田一本松浮当か三十分は草村にて沼少し有梶原いけすきの馬佐〻木にりしを姨り所也助ミ衛田柏原名物うなぎ村天野軒田よつや元吉糸今の吉原頭昔は爰にあり川井の橋長サ廿九呂不二の据野原吉原の間をいふ赤へかたにふしろ根にふりおく宿は水無月のもちに消ぬれハ其夜治けりの山な皇御にはるゝとい毎富経豆とて精進し治多し聖徳子役初て此山にり給ひ後等山して像石に彫てふ唐く来りし書物し百りき出せは此る同本四来る連はぬといふ此山の神社は城同元年の立延神名帳に強河士浅間と有豆高ごの頂上をのこきりか岳といふ吉ゟへ一間をたり富士といふ清見興津東浮烏か京迄のあの海辺惣名を田子の浦といふ東立場寺町といふ強吉原江卅四り半百廿五候へ同古内河かんに二り卅京九七八人百四三本百三百三から百殿作御ず長呑八郎を神尾六つ当張初とれゟ東南のかくに有天和二此地うつ宿をれたるあり西立湯つ島出口にうるい川橋あ河原宿とうろ木村取布名物山川酒ひごどいき底垣いの木かご松岡方久沢善寺に家兄塚あり此辺替か岳といふに時むねを切たる所有富土船し吉原とかん原の間也此川ながれ念早し岩淵を殊有
-
朝同十右み屋呑匁ろつ定宿清右ろ口ゟ五十六り廿九今道し岩よ城主太田備中守当所名物葛布鮫さし風呂敷さしたび下坂といふ刀な鍛治あり十九首町淵の上二の瀬村川有大池村橋有右の方秋葉山へ道九里半有道の記奥に出すかはたゑた村也沢田村きい田村此辺もめん手ぬくひを売る・つな川村はら川村これまで懸川領也なくり村此辺花ござを織る・くつべ村此所に日蓮上人の父貫名重忠か石脾有あらやいなり社金十郎狐とてありを袋井みつけへ同八十三又里半○五十四文頭一△四十二か人山同名部屋八兵衛定宿江戸ゟ五十九里九丁道よしあまの橋○河井村橋有・木原村右熊野権現の社有西島右に岩井村といふ所むかし頼朝鶴を放し給ふ所といふみかの橋有坂有名所なり・大久保村三本松村見付䑓此所ふし山みゆる是ゟ西にては見えすか鷺さり
-
京橋区新富町仲焼竹葉亭神田明神下鑑講焼神田川茂八日本橋区ふきや町一鱣反祖かばやき大野屋鉄五郎浅草匣北俵町画鑑かばやき草加屋吉兵衛
-
●フ○館与手つ○つ本江戸王産三何●フ○こ手つ○つく
-
江戸上野御山仏店合かばやき所元祖元禄年中ヨ連綿大和屋利門南鍋町江戸名物鱣御蒲焼尾張屋室町浮世に路蚕鱣御蒲焼大坂屋金蔵江戸神田和泉橋通余丑ノ日かばやき所元祖前春木屋善兵衛
-
終江尻四半軽百八十文下百廿文本問第集亭八十り人八十七文かう七十一文四八文屋代せろ小為松平丹守石四二みり江尻より入五り御本陣寺与右つ羽半左つ根本念兵衛舌あり甲刀後落後城なりちご橋長十九間こゟ沼口船にても行なり此川下六町行清水町富る所な此秘ゟ紅にて三穂ゆく海上廿計保松の嫌神社あり庵原鄙三のそのな衣のお御穂れより五余東南にあり松原横廿余東長々西ハ地つきミほつ姫明神頭天社有島のみ松なり松露多し古ゟ尊あり栗毛也終の廻持ろ大木あり天かて羽衣をかけくといふもあり神明社百六石三保の浦三穂の入江風早の浦此の名所也吹上の砂の高き所より見れは田子の浦の船は松ろ上をごく如く富士豆山の麓に沖津かん原さつた能山見へての景地なり補陀洛山能寺有致郡村松村にあり尻ゟ廿新にてとす坊舎十宇御色あり本尊子観領三石清別当徳香院也山たか坂八丁府中ゟ三り西立ば有渡の浜ははまべをいふ府中合内丁追分原共云右に然あのか椀原山に旅わら父子目害せし塚あり一山村釜の段草なぎ共いふ十町斗左に草蘿明神ののあり梅の大本涙の中八畳敷ありの飲五十石小田屋中の郷小吉田名物すしたにつの名所あり栗ハ長沼やつきつねが崎府中合口に愛岩あ三まつ横田清水寺左に八幡大秋あり久能かい得也稲川まがりかね駿府中江名四古四雅百卅七か文下八十りお百八十匁同太兵衛河ま青茶京八十り半人六十三文から吉卅屋御城御城右にあり今中は古の国尉也御本小治つ当宿名物篭細工桑細西に浅間あ当生土神也年中富士本宮よりうして新宮といふ当国一のなり領六石浅間の上の山をしづはた山といふ名にて古寄多し山中に城得あり臨済寺とて今川の若提所あり寺領百不町ろちに宝縫院とて浄宗の大寺あり寺三百御亀屋あり弥勤あ部川かち湯し名物盆山心出る江五川上に木独の衛名所也大社
-
聖堂上野よりうつらざる前の石之聖堂御建立あつかゝ昌平坂昌平橋とあらたまれり魯入昌平郷の因なり古鹿子には筋違橋の内とあり前集にはすだ町よこ丁小溝にありと記すこれ非也此よこ師の橋は屋敷と町と半分つゝかくるゆへに求合橋之相生橋といふ名目今なきにより相合求在和語相ちかきゆへにあやまりていふ也同日本橋南○木原店和る名○橋木河岸名本名西河屋町補稲荷小路和石南目補或部小路石南二丁目補譲の井桶町一丁目南例物屋善屋敷にあり今ひひ極の名為也○京橋竹町名本名足屋多し其浅革町下谷竹町駒込竹町麹町竹町四谷竹町も私の名て○立売和石本名南殊屋町と云出来合の刀わきさしを商ふ補日陰町和名本名山下町此町御堀はた側北うけの所なるゆへいふか又芝口に日かげ町といふあり此所は西更町なれともしかいふ補鍋島門松名本石姫御又御門と云鍋の御やしきあるゆへにしかいふ木挽町広小路目也俗に米女か京といふ○芝口御門の地しん橋北詰正徳羊中朝鮮人来の時建ツ子保羊中田膝の後なし此時新橋を芝口橋と改り日風谷町も芝口町とあらたまりして○地蔵橋八丁衛同心町の内○輪宝小路又貧乏小路と云ともに私のか名八十堀同心町の内回霊巌島の中○とや町私本石霊巌町○江戸中島れいかん島の旧名はそのかみ往誉璽巌和尚わうりの海汀を翰き梵宮を営し霊厳寺と号よて此所の名と成也り其後深川にうつる往誉或は雄誉と書事跡惣栄にくはし○一ノ橋二ノ橋ノ橋新にわる○豊海橋俗女橋といふ新門口のはし随見屋敷一ノ橋の北結茶碗鉢店といふ川村随児第宅の所也此随見老人はえ禄羊中諸州の風工を考へ海を筑川を然てあらたに田畑を発す其土地を知る事発明名誉の人て指巣の境な
-
且小為人江戸日本橋より小きやうとく予き御図行くき小ばしへ干八行こらるわたへてるとし大和同へも金井へ一リ松うす井へ白井べ三り小佐くらへて大もりへ一あひしゆさゐへ木出ろしへの子わししんさねてれろるかとりへ成田へ二しは糸へ方成川にへ所をへてつ舟成肉斉に川るあばニすりすあちきへか部をほうきれはいたはへかま刈い春す○江戸ゟ金沢江み島案内日本ばに二り客川二り五羊平水二かな川鴨西紙名塩栗浜の藤六八もん一り二後江島
-
ゆ物剛年武蔵野の岩きおゝん惣みハ筑波山の影よりもしけく書峰は雲のつくれ類十戸よりもたかし筆ま川のつきけぬ流れとし満入縁浪静にして枝を奈らさぬ江都の名所為跡江申雀の時りをうけ江戸鹿子の匠を結むて金候六軸方二十三隅に
-
これより此名をつしけ橋なり一書にかさゝの橋は御池通からす丸細へ入小石橋なりとありいかゞ○羅従橋品乞窓部上京飛鳥井町の北小川のうへに有東山戒光寺むかし此辺にありけるよしいにしへ楜干の板に羅浜の俄あしゆへとにらかん橋といひつたへたり○水落橋愛岩部上売小何の面にあり此南の町を水おちの町と名づく此ほとりの人いひならしはに弟見狩食といふ事をわづらふ子に此水落の水をわかして浴させるにはしたて本後す○石橋愛岩部石橋は所らにありといへども石橋とばかりいひてかぎるは相国寺門前の橋をいふなりと例せば山はおほけれども山法師といひて比叡にかぎり寺法師を園城寺にかぎるといへるにおなきか○百々橋愛え部妙顕寺通二股川の末なり東西にかけたり橋の西宝鏡院の前の町を百々の町といふよりいふか古へ百々氏此所に住るなるべ応仁年中山名細門と此
-
降る扨東近江し津岳は小山也片山は湖辺也屈上越前の川裾にて船着也是より竹生島船認五様丁西の方に当る此辺竹生島社領三百石の地也東小各山見ゆる是涙井備房守城跡湖辺より壱りあり早水宿書国海道是より長浜へひり此間に姉川有の魚の名物あり長浜はひ拾丁余町続繁昌の船着也東伊吹山へ三りあり前はら船着此山家より若物の石灰出る往遂鳥本の宿東へ行は中仙道研針峠湖辺は彦服よりの身みるる山下海有通湖辺也越川の添歓吉寺長明寺邑より湖辺により佐郎木の園あり鏡山百三山し湖辺よりは壱り牛山手也八幡山は幡町是富有の地家居西し己の浜是堅田の迎ひなり海の上せまき所也山田天橋草津より出大津への渡し船場土産糸真綿油亭布蚊ゆ家さらしきはしゆ米穀たし川魚木の実油畳なるゝ結陀いりやす青花黄土敷十乙冬
-
○鱸倉の名所和歌の事聞しは昔鎌倉は将軍家代々相続し繁昌のちまた名所旧跡其数を知らず詩人歌人の詠おほしとかや然ば当代江戸へ月郷雲客あまねく下り給ひぬこれらの人々帰洛には鎌倉一見としてかならず尋より給ふわれ武州に有といへ共いまだみず鎌倉一見と心ざし行脚し爰かしこをじゆんれいし里の翁にあひて星月夜鎌倉山とはいづれをさしてか
-
高田村木天かく社は見めかつはしや高田の村は見ぬ時そ一且なき房大回田浦名寄かち人のみさはの氷路なしら渡れとぬれ又三賀の大実蓮わた屏風浦間り立けるか屏風の浦の其霞よに辺坂の関を件にきしと菅浦一民沖津浪高島めへり漕過て蓮に成ぬ塩津菅浦後れ玉津小川木水もせく玉津小川のここなめにとふ思ひよ面替りせよ玉川千我あすもこん後の玉川萩をて立ゐる浜に月郎りけ日り御抜川夫木けふよりはあらふる神もあしらかし御福川にてみそきしつれは愛智川ゑちに思うす棹の取もあえす下す紙のいちまきよや余古入江同にほてるやよこの入江に波晴て月り上に紅風そ吹陪膳浜拾迄潜る時もあしらな江なるおとのゝ浜のあまのひつきは松枝岸家紅葉ゝも渡る時雨は降くてみとりそまさる松か枚の岸石良瀬同氷魚もせを過しかたしとや思ふ覧石らか瀬にも足代打也波止土農夫木はしとのゝ槙の扨橋右橋に続てのほる山そ明るかしこて取古池又木何方へ立はなるは見えぬ哉とりこの地にすたあきし鴨れ餅宮我集あれこそはもちゐの宮と聞からにつく〱と思ふ事をこそい絵のれ当国名所甚多不巻記サ木曽紙道鰹近江第師道濃州居宣元一里美江月物語ト江州桶原里醒一里番六鳥本新又有之能高官へル地師右佐方有初山道佐発智川一牛里載佐里自風重八岸山尤裏牛岐草津牛一里大津懇分由者方由児し京三条ノ橋東海道狸江出第師道勢州坂下二煙半有有睡焼柑版神親牛木口坊ニ煙石部斬大津右方有三草津仁程弁田国土山出愛盾道北多略人土山二里貝掛山道石原牛里岡本二里八目市二里智川
-
おく深き名所〱のみちすから四キゆ見「国〻所は多けれとも取分こゝろの末かげてシテ「思日渡りしここハはしの「中三河の沢のかきつは一シテた「はこる〲来ぬる握をしぞ口キ「おもひの色を世に残し女て「主ハむかしに業ひらなれとゝ一女も「笥の花は「今こゝに在原の跡なやだてそかきゝつばた〱ウ沢辺の水の浅からす一ここ一也つ喫りし人もハ橋のくもてにものここことそ思はるゝ今迚もたひ人に昔をゝにかたるけふのくれやかてなれぬる