AI が研究の手順を担えるようになると、問われるのは「AI で何ができるか」より先に、「研究者はどこで何に責任を負うのか」である。本節は、研究者の関与の深さを三つの類型で定義し、そこから導かれる研究者像、著者性と評価、人の育ち方、人文学の教え方を順に述べる。AI で何を作り、何を問い、どう実装するかは、各節(「AI でデータを作る」「AI で問う・読む」「AI エージェントの活用」)を参照されたい。

関与の深さを三つに分ける

AI との関わり方は、人がどこまで手順に入り込むかで三つに分けられる。この三類型は、本ガイドラインにおける定義である。

この順に人の関与は減る。AI にできることが増えるにつれ、in-the-loop から on-the-loop へ移っていくとされる [UC-035 §人間とAIの関わり方の三つの類型と「指揮者」という研究者像, UC-043 §Agentic DHという視点]。

類型が変わると、責任の置き場所も変わる。in-the-loop では、各作業を指示し確認した研究者が、その作業の責任を直接負う。on-the-loop では、個々の作業は AI に委ねられ、研究者は結果の確認を通じて全体に責任を負う。out-of-the-loop では、確認という責任の経路そのものがなくなる。人文学では、この丸投げにあたる out-of-the-loop はあまり成立しないのではないかという見方が示されている [UC-035 §人間とAIの関わり方の三つの類型と「指揮者」という研究者像]。

指揮者であるということ

この構造を研究者像として言い表したのが「指揮者」である。指揮者は個々の楽器を弾けないかもしれないが、全体の音がどうあるべきかを理解し、全体として良い音楽を作る責任を負う。研究者も、個別の工程は AI に委譲しつつ、研究の全体を成功させ説明する責任を負う [UC-035 §人間とAIの関わり方の三つの類型と「指揮者」という研究者像, UC-043 §Agentic DHという視点]。

指揮者であるための条件は二つに整理できる。一つは、権限を委ねても研究責任は手放さないこと。もう一つは、出力を批判的に評価する能力を保つことである。人文学の主体性を保つには、AI への丸投げではなく、的確な指示と対話のコントロールが不可欠であり、自分たちの研究に適した AI を開発する能力や、AI の出力を批判的に評価する能力を育成できるかが問われるという [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。

この能力を支えるのは、道具ではなく研究者の専門性である。数学の事例では、AI が見つけた反例を人間が理解するために、AI との対話を使いながらも、その対話の成立に深い専門性が必要だと指摘されている [UC-035 §数学研究で進むAI for Science]。歴史地震の震度判定の事例では、コードを書けない研究者が AI の提案を判断し指示することでツールを作った。そのうえで、何を変えないかを決めること、結果を史料で確かめること、AI の提案の採否を決めることは、人間に残る責任だとされている [UC-048 §限界と人間に残る責任, UC-048 §開発の進め方:設計と実装の分業]。

著者性と責任、評価と査読の揺らぎ

AI の関与が深まると、成果が誰のものかという問いが生じる。研究者のプロンプトには独自性があり検証も行うが、それが著者性の根拠になるのかには疑問が残る。数学者の Gowers は、AI が生成し人間が検証した成果を、著者のいない論文として投稿できないかと考えた。しかし、プレプリントサーバーの arXiv は条件を満たさないという [UC-035 §学術システムにかかるストレスと著者性の問い]。人文学では人手による丹念な作業を著者性の根拠としてきたため、AI 支援による成果の評価がとくに難しくなる可能性が指摘されている [UC-035 §学術システムにかかるストレスと著者性の問い]。

評価や査読の側にも負荷がかかる。論文の「生産性」が上がって大量投稿が可能になり、質の低下も重なって、人間が査読するシステムが危機的な状況にあるとされる。機械学習の学会 NeurIPS では、AI を査読に使う実験も始まった [UC-035 §学術システムにかかるストレスと著者性の問い]。

現場の研究者からも、似た戸惑いが寄せられている。DiHuCoハブシンポジウムの参加者アンケートでは、論文や学会報告で AI のリファレンスをどこまでとし、オリジナルをどの部分とするかの判断に困る、という声があった。研究や業務の過程でどこまでが AI の提案や分析で、どこからが人間の判断なのかが見えにくくなることを懸念し、AI の出力をなぜ採用し何を採用しなかったかを記録・検証する仕組みが必要だと感じた、という回答もある。論文作成には使えるが論文査読には利用できないことを問題とする回答や、論文レビューなどで AI に頼りすぎて研究の主導権を握られそうになるという回答もあった [Issues-002 §論点3:人間が担う範囲の見極め]。ただしこのアンケートの回答者は、AI の利用に肯定的な層に偏っている [Issues-002 §調査の方法と回答者の構成]。

学生と研究者の育ち方

技術の習得が入場条件でなくなった

AI は、学生が研究に入る順序を変えている。以前は、プログラミング言語やデータベース、統計処理、画像処理をある程度習得してから研究課題に取りかかる必要があり、問いに到達する前に挫折する学生もいた。現在は、生成 AI との対話を通じてコードを作り、エラーを説明させ、必要なツールを組み合わせられる。技術は研究への入場資格ではなく、研究の途中で獲得し組み替える資源になった、と説明されている [UC-036 §生成AIによる教育現場の変化]。

このことは、資料批判や文脈理解といった人文学の強みを持つ研究者が、データや計算の能力を効率的に駆使できるようになるという意味で、人文学系の研究者にとっての大きな開放だと捉えられている [UC-036 §生成AIによる教育現場の変化]。

取り組みやすい問題を解ける AI と博士課程の指導

一方で、AI が比較的取り組みやすい問題を解ける段階にあるなら、研究を始めたばかりの博士課程の学生に取り組みやすい問題を与えるという、指導の常道が選べなくなる。数学者のブログはそう指摘している [UC-043 §Agentic DHという視点]。同じブログは、自分の名前が定理や定義に永く結びつく喜びを味わえる時代は終わりに近いかもしれない、とも述べる。数学研究にこれから入ろうとする人への影響がとくに大きく、従来のやり方ではキャリアを築けないとも論じられている [UC-035 §数学研究で進むAI for Science]。数学についての議論であり、人文学にそのまま当てはまるとは限らないが、学術システムの変化は人材育成やキャリアパス、教育に大きく影響するため、いまから対応を考えるべきだとされる [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。

デジタル化からの転回を必要としない世代

世代による違いも指摘されている。これまでの DH は、アナログからデジタルへ、計算可能性とアクセシビリティを高める一方向の変化を議論してきた。いま起きているのは、人間と AI のあいだで主体性をどう分担するかという、配分の問題である。Agentic DH に至るにはデジタル化から AI 化への転回が必要であり、デジタル化の延長では AI 化に進めない、異なるベクトルではないかと述べられる。デジタル化をやめるわけではなく、方向を変えるという意味である。最初からデジタル環境で研究を始めた人は、アナログからデジタルへの変化を経験していない。そのため転回しなくても自然に AI 化に進める可能性があり、デジタル化を経由せずに AI 化を進める研究の道も開かれる [UC-035 §デジタル化からAI化への転回, UC-043 §Agentic DHという視点]。

人文学の何を教えるか

DiHuCoハブシンポジウムの参加者アンケートには、教育の現場への懸念が複数並んでいた。学生が生成 AI を利用すること自体は問題ないが、一部の学生は専門知識を習得する労力を省くために使いたがる、という回答がある。学生のレポートの劣化が甚だしいという回答や、教育の現場にどう取り組むべきかが気になるという回答もあった。AI を使うことで回り道をする面白さに気づく機会が失われかねないという指摘は、これは程度問題で、自分の先輩たちも自分たちを見て同じことを思っただろう、と相対化されている。身につけた技術が意味をなくし、問いを立てることだけが残るので、真の研究者しか生き残れないと感じる、という回答もあった [Issues-002 §論点3:人間が担う範囲の見極め]。

これらの声と、ここまでの構造を合わせると、学生が AI を使うときに身につけるべきことは、次のように整理できる。

教える側の役割も変わる。調査、整理、比較、仮説、生成、表現といった研究行為の一部が AI との協業のなかに再配置されるなら、教員は、技術そのものを教える人から、問いの立て方、資料批判、文脈理解といった人文学の力をどう AI の使い方に結びつけるかを指導する人へ、重心を移すことになる [UC-036 §Agentic DHにおける研究行為の再配置]。具体的には、ツールの操作を教えるだけでなく方法を助言し、検証の仕方を問い、何をもって成果とするかを学生と議論する役割を担う。学生の研究は、AI が答えを出した結果としてではなく、学生が AI を指揮しながら問いと方法と成果を結びつけたプロセスとして評価されるべきだ、という考え方が示されている [UC-036 §学生の研究の評価と教員の役割]。