データを共同利用に開くための出発点は、何に識別子を振るかを決め、その識別子を軸に他のデータとつなぐことである。識別子がなければ表記の揺れは吸収できず、異なるデータセット間の結合も属人的な照合に頼ることになる。
「何を同じエンティティとみなすか」という設計の問い
識別子を振るとは、エンティティを定義することを先に意味する。エンティティを定義して固有のIDを与え、名称の表記揺れや粒度の違いを属性として吸収したうえで、識別子と属性の組をデータセット化して実世界との紐づけとデータ統合に利用する、という方針が、断片的な過去の空間情報を統合する基本として報告されている [UC-013 §識別子と属性によるデータ構築の基本方針]。
この設計の難しさは、対象が公式リストを持たない場合に際立つ。藩IDデータセットはその典型で、江戸幕府が藩を公式に定義していなかったという事情から、408という数字も付与した名称もデータセット側の判断である [UC-033 §地名のデータセット:藩・街道・宿場とGeoLOD]。名称の選択にあたっては、地名で呼ぶか家名で呼ぶかという二系統の揺れ、同名の松山藩が出羽・伊予・備中に三つ存在するといった問題があり、J-STAGEの論文数やWikipediaの用例という現代の利用実態も参照して代表名を決めている [UC-012 §藩IDデータセット]。「何を同じエンティティとみなすか」の基準がなければ識別子は機能しない、という逆向きの命題として読める事例である。
公式IDが存在しない期間への対応として、歴史的行政区域データセットは複数のデータセットを統合し、表記の同一性に基づいて1889年以降の市区町村に一意のIDを付与した(1968年以前には公式の市区町村IDが存在しないため)。各IDは代表的な位置(点)と時期ごとの境界(ポリゴン)を属性として持つ [UC-010 §歴史的行政区域データセット]。
識別子が表記揺れを吸収し、統合を可能にする
識別子の導入によって得られる実際の効果として、武鑑全集における寛政武鑑と安政武鑑の経時的な統合が報告されている。以前は表記が揺れていた藩名を、藩IDを介することで結合・統合できるようになった [UC-012 §藩IDデータセット]。また、藩IDと村データセットを統合すると、加賀藩が1,340,660石の石高を持ち、その領域が二つの主要地域に分かれ、さらに別の領主に属する村が「穴」として存在することが可視化できる [UC-010 §藩IDデータセットと村・藩の統合的な可視化]。石高が経済力に対応するため、どの藩がなぜ強大なのかという問いに可視化でアプローチできる点も、識別子が媒介するデータ統合の帰結として位置づけられる。
識別子の粒度と対象の関係についても設計上の論点がある。藩と大名家は一対一ではなく、大名家が藩を移ることもあるため、藩IDとは別に大名家IDが必要になり、当主の交代などのイベントをIDの変更として扱うならさらに複雑な体系が求められると指摘されている [UC-012 §藩IDデータセット]。識別子の体系をどこで切るかは、対象の歴史的な構造に規定される問いである。
位置が決まらないときの識別子設計
識別子を付与したいが位置を一点に決められない場合の対応として、Uber H3インデックスを利用して六角形で位置の範囲を指定する手法が採用されている。石川藩の陣屋のように候補が複数あって一つに絞れない場合、このIDは場所と六角形の大きさを一つの文字列で同時に指定できるため、ID自体に曖昧さのレベルが含まれる [UC-033 §地名のデータセット:藩・街道・宿場とGeoLOD]。「位置が確定していることを識別子付与の前提にしない」という設計方針として読める。
線・点の組み合わせによる移動経路の識別子設計
街道と宿場町への識別子付与は、線(道)と点(宿場)を組み合わせて移動経路を構造化する設計を示している。街道IDは高速道路ナンバリングに倣って五街道にR001〜R005を与え、宿場IDは駅ナンバリングに倣って東海道品川宿をR001-002とするように街道IDとの組み合わせで付与する。これにより人や物資の移動を「あるIDから別のIDへ」という構造で表現できる [UC-033 §地名のデータセット:藩・街道・宿場とGeoLOD]。
ただし街道には時期による移設や経路の違いがあり、IDを与えつつ説や時期に応じて複数の経路を割り当てられる柔軟な枠組みが望ましいという論点が質疑で示されている [UC-012 §江戸期地理データセット]。識別子の一意性と歴史的な経路の多義性をどう両立するかは、設計上の未解決事項として残る。
こうして付与したIDはGeoLODに登録し、ウェブとAPIを通じて属性表示・検索・共有が可能なかたちで維持される [UC-033 §地名のデータセット:藩・街道・宿場とGeoLOD]。