はじめに

本講演は、日本史研究のためのデジタル地理資源とツールをどのように構築するかを、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)・国立情報学研究所の 北本朝展 氏が紹介したものです。古地図のデジタル化から、地名・村・藩・行政区域のデータセット、そして地名どうしをつなぐソフトウェアまで、歴史資料を地図上の現実世界に結びつけるための一連の取り組みを扱います。歴史GIS(地理情報システム)や歴史ビッグデータに関心のある研究者・アーキビストにとって、具体的な構築手法とオープンデータ整備の実例を知る手がかりとなります。

歴史ビッグデータと「どこ」をめぐる問題

過去の膨大な文書から構造化データを取り出す 歴史ビッグデータHistorical Big Data)研究では、記述された事柄が「どこ」で起きたのかを特定することが、解釈の鍵になります。北本氏はまず、地図を切り替えるデモンストレーションからこの問題を提示しました。

現在の大阪の地図を約150年前の江戸時代の姿に切り替えると、EXPO 2025の会場は海の中にあり、周囲には建物も鉄道もなく農村が広がっています。こうした重ね合わせを可能にするのが、現代的なデザインの歴史地図 れきちず です。歴史情報を歴史地図の上に重ねると、何がどのような場所で起きたのかという空間的文脈を直感的に理解できます。たとえば江戸(現在の東京)の店舗の分布を当時の地図に重ねると、町家の集まる地域や街道沿いに店が並ぶ理由が見えてきますが、現代の地図に重ねると人口集中地域も街道も移動しているため、その文脈は読み取れなくなります。

歴史ビッグデータプロジェクトは、日記や書状など過去の世界を記述した史料から、天候・地震・噴火・疫病といった自然のデータや、経済・人口・政治・文化といった社会のデータを抽出し、機械可読な構造化データとして整え、過去を大規模データとして分析できるようにする取り組みです。本講演が特に扱うのは、このうち「どこ(WHERE)」の問題です。文書を過去と関連づけて分析するには、何がどこで起きた/記録されたかを知る必要があり、テキストや画像から場所に関わる実体(地名など)を抽出し、地名に地理座標を与えて地図上に可視化するという、文書を現実世界へ対応づけるワークフローが求められます。

情報・地理・つなぐ──三つの空間のモデル

地理資源を整理するために、北本氏は「情報空間」「地理空間」「つなぐ空間」という三つの空間からなるモデルを提示しました。この三つに資源を整え、テキストを現実世界に結びつけることが目標です。

情報空間(ガゼッティア=地名辞典)は、テキストや画像など、地理に関わるメディアデータの空間です。地理空間(地図)は、点やポリゴンなど、現実世界を表す幾何データの空間です。そして両者をつなぐのが つなぐ空間(地名・トポニム)で、座標と識別子を備えた、地名のような実体がここに位置します。

地名 識別子(ID)に名前を付与すれば情報空間へ、座標 を付与すれば地理空間へとつながります。つまり地名という実体を介して、史料中の記述と地図上の位置とを相互に結びつけることができる、という構図です。

江戸マップ──古地図からの地名抽出とジオリファレンス

江戸マップ は、江戸の古地図から地名を抽出し、現代の地図に対応づけるプロジェクトです。当時世界有数の大都市であった江戸を描いた古地図29枚から地名を転記し、地図上に位置を付与して、8,719件の地名を抽出しました。

古地図は歪みが大きく、その座標をそのまま実際の位置として使うことはできません。そこで典型的には ジオリファレンス(古地図と現代地図の対応点をもとに幾何補正を行う処理)を用います。ここでは立命館大学が運用するWebサービス Map Warper(日本語版)を利用しました。補正後は古地図を現代地図やGoogle Earthに重ねられ、現在の東京駅周辺がかつて大名屋敷の区域であったことや、運河の名残が道路に変わった様子が読み取れます。

ただし、一部の地域は歪みが非常に激しく、ジオリファレンスだけでは位置を推定できませんでした。そこで北本氏らは、古地図から抽出した各マーカーを、寺院などが多数描かれた OpenStreetMap をベースマップとして、ひとつずつ現在地へ手作業で移動させました。さらに、複数の切絵図に現れる同一地点を統合することで、最終的に江戸の都市空間を一望できる「江戸マップ完全版」を作成しました。

歴史地図「れきちず」と地理オープンデータ

江戸マップのマーカーの背景となるベースマップが、歴史地図 れきちず です。れきちずを支えるため、CODHは複数の地理オープンデータを公開し、それがれきちずに取り込まれました。

れきちずは現代的なデザインのWeb歴史地図で、MIERUNE Inc. とデザイナーの Hajime Kato 氏が開発しました。幕末期の日本全国を対象として拡張が進められており、講演冒頭の大阪の地図もこの一環です。運用主体が民間企業であるため CC BY-NC-ND ライセンスですが、研究プラットフォームとして無償で提供されています。

これを支えるオープンデータは CC BY ライセンスで公開され、主に三種類が手作業で作成されました。第一に 海岸線(海・湖)で、伊能図をはじめとする地図を基準に抽出しています。第二に 主要な街道 で、五街道をはじめとする江戸時代の主要道を整備しました。第三に 江戸の市街地(町家)で、江戸切絵図において町家に割り当てられた色から該当領域を抽出しています。いずれも多数の文書を参照しながら手作業で作成された点が特徴です。

地名・村のデータセット

史料に頻出する地名や村を識別できるようにするため、北本氏らは複数のデータセットを整備しました。ここでは二つのデータセットを取り上げます。

6.1 『日本歴史地名大系』地名項目データセット

現在は失われ、現地を歩いても見つからない地名も、史料の解釈には欠かせません。『日本歴史地名大系』地名項目データセット は、出版社の平凡社と協力し、同社刊行の『日本歴史地名大系』(全50巻、1979〜2004年、刊行に25年を要した)を基に作成されました。電子版は購読制のジャパンナレッジで提供されていますが、地名の名称・位置・読みと識別子の部分を CC BY ライセンスのオープンデータとして公開し、詳細な解説は購読側に残す構成としています。80,502件の地名を公開しています。

6.2 幕末期近世村領域データセット

幕末期近世村領域データセット は、オープンデータの推進者でもある本田謙一氏が、多大な時間をかけて点データとポリゴンデータで作成したものです。幕末期の66,581村を収録し、各村は石高と結びついています。石高は国立歴史民俗博物館のデータに基づいており、徴収できる年貢の量、すなわち各村の経済力を表す点が特徴です。なおポリゴンは現代のデータからの推定を含みます。

藩IDデータセットと村・藩の統合的な可視化

藩IDデータセット は、「約300の大名」という曖昧に語られてきた数を明確化する試みです。さらに村領域データセットと統合することで、藩の領域と経済力を可視化できます。

江戸時代を説明する際にはしばしば「約300の藩(大名)」と言われますが、正確には何藩なのか。江戸幕府が「藩」のリストを公式に作っていないため、数を厳密に決めることは難しく、藩の「名称」自体にも揺れがあります。これを厳密に議論することは歴史学の研究課題そのものであり、私たちの研究範囲を超えます。そこで三つの権威ある事典を参照・比較し、統一的なリストとして408件の藩IDを定義し、代表名と異名も選定しました。

村データセットと藩データセットは統合が可能です。最大の藩である加賀藩は石高の合計が1,340,660石にのぼります。可視化してみると、加賀藩の領域は二つの主要な地域に分かれ、領域内には「穴」(別の領主に属する村)も存在します。村は基本的に一つの領主に属しますが、複数の領主を持つ村もあり、村と藩は多対多の関係にあります。石高は年貢の量、すなわち経済力に対応するため、どの藩がなぜ強大なのかを可視化できます。

歴史的行政区域データセット

本講演の対象は江戸期にとどまらず、明治・大正・昭和・平成・令和の各時代へと拡張されています。その中で最も基礎的な実体の一つが市区町村です。市区町村は多くの文書や統計に頻出する重要な地名ですが、公式の市区町村IDは1968年以降にしか存在せず、現行制度が始まる1889年から1968年までの期間にはありません。歴史的行政区域データセット は、複数のデータセットを統合して1889年以降の市区町村に一意のIDを付与したもので、表記の同一性に基づき16,856件を識別しました。各IDは、代表的な位置(点)と時期ごとの境界(ポリゴン)という属性を持ちます。

歴史的ジオコーダーとGeoLOD──地名をつなぐ基盤

地名と現実世界、そして地名と各種アプリケーションをつなぐための基盤として、北本氏は歴史的ジオコーダーとGeoLODを紹介しました。

歴史的ジオコーダー は、過去の住所を緯度経度に変換するためのソフトウェアです。ジオコーダーは住所を緯度経度に変換するソフトウェアですが、現代の住所向けのツールは多い一方で、過去の住所向けは乏しいため、CODHが開発しました。Python製の日本語ジオコーダー Jageocoder(Takeshi Sagara 氏が開発)を用い、過去の住所をジオコーディングするための旧東京市15区住所データセットを作成し、1923年の関東大震災の罹災者地図の可視化などに活用しています。

GeoLOD は、地名に識別子を付与するサービスです。多数の地名をアップロードして GeoLOD ID を割り当てれば、さまざまなアプリでその識別子を利用でき、同じIDを介して異なるアプリ間のデータ統合も容易になります。

得られた知見と今後の展望

北本氏は、一連の取り組みから得られた知見と、質疑で示された今後の課題を述べました。

知見としては、次の四点が挙げられました。第一に、歴史ビッグデータ研究にはID体系のような優れたデータ基盤が必要であること。第二に、より良い解釈のためには、情報の表現どうしの隔たりを埋める必要があること(歴史情報を現代地図に重ねると文脈を理解しやすくなる、という例が示されました)。第三に、識別子によるデータ統合は、藩や村といった多層的なデータセットを超えて知識グラフを拡張できること。第四に、オープンデータとオープンソースは、Win-Winの関係を設計することで、民間企業や意欲的なボランティアとの協働など、境界を越えた連携を広げられることです。

質疑では今後の課題も浮かび上がりました。河川は形状が時代とともに変化するものの、データ化の規模が膨大で全体を扱うのは難しく、まずは100年前に存在し現在は消えた湖のデータセットを整備中で、河川も一部を対象としているとのことでした。湖や海岸線は文学作品にも描かれており、今は現地に行っても確認できないことがデータで見えることは文学作品の解釈にも有用だと指摘されました。地名の異表記(同じ地名が漢字やひらがなで書き分けられる揺れ)については、データセットの異名フィールドと、文字レベルの自動変換とを組み合わせて対応する必要があり、すべての変種を網羅するのは困難だと述べられました。また寺社は POI(関心地点)データセットに一部含まれるものの、寺は移転しうるため時期によって位置が異なり、難しいが重要な今後の課題だとされました。

本講演の取り組みは、文部科学省(MEXT)が2024年12月に開始したDHコンソーシアムプロジェクト(DiHuCo)の一環でもあります。CODHは「地図・地誌類」領域を担当し、AIの活用を含むデジタルヒューマニティーズのユースケース開発と、データ・ソフトウェア・AIを責任ある形で使うためのガイドライン作成に取り組んでいます。

講演情報

  • イベント:JADH 2025
  • 講演日:2025-09-21
  • 講演者:北本朝展(ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)・国立情報学研究所)

関連リンク


この記事は、講演記録を基に生成AIを利用して作成したユースケース記事です。