写真は景観の細部を捉える視覚的な資料であり、地理座標を通じて実世界と結びつく空間的な資料でもある。[UC-016 §視覚的・空間的な歴史資料という視点] 同時に、写真は撮った人物の位置・姿勢・意図を抜きには考えられない、撮影者のまなざしの記録でもある。[UC-004 §メモリーグラフが投げかける問い:写真の再考と身体性] この二つの性格が、写真を人文学の研究対象として際立たせている。
共時的写真と通時的写真
古写真を使うときは、二つの時間的な立場を区別すると見通しがよい。ある時点の都市景観を複数の写真から再現しようとする営みを共時的写真(synchronic photographs)、同一地点の景観が時間とともにどう変化したかを捉えようとする営みを通時的写真(diachronic photographs)と呼ぶ。[UC-016 §地図と組み合わせた過去の景観の再現, Memorygraph]
共時的な例が北京の事例である。古地図『乾隆京城全図』をジオレファレンスして基盤を整え、1900年頃の写真アルバムの各写真を地図上の地点と一つずつ対応づけた。この照合から、一見すると建物に見えるものが、実際には通りの上に建てられた仮設の建物だと判明した。空間情報があれば迅速に判別できるが、なければ解釈は難しい。[UC-016 §地図と組み合わせた過去の景観の再現]
通時的な読解は、現場へ行って同一構図で撮り、過去と現在を直接比べる。建物は大きく変わっていても堀はほとんど変わっていない、といった対比が見えてくる。同一構図の写真を画素レベルで比べると、人が気づかない微細な変化が明らかになることもある。[UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術] 通時的な読解の核心は、場所への対応づけにとどまらず、変化する景観の中に不変なもの(invariance)を見出すことにある。[UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]
古写真の同定
撮影場所が分からない古写真を同定する作業は、写真を空間的な資料として使うための前提である。
京都の市電写真を素材にしたデータベース構築では、建築工学・人文学・情報学の研究者に加え、文化財保護の専門家・市電の専門家・市職員が参加し、撮影場所を議論しながら同定を進めた。たとえば北野線沿いにあったバスの車庫(もとは市電車庫)の存在を知っているかどうかが手がかりを左右するように、地域の知識が鍵を握る。同定は、地域への正確な理解や歴史的認識を深める機会にもなった。[UC-005 §京都の鉄道・バス写真データベースの構築]
景観が激変した遺跡では、別の困難がある。シルクロードの勝金口の遺跡では、寺院があったと思われる一帯がぶどう畑に変わり、手前では高速道路の工事も進んでいた。こうした状況で、所在地が分からないために発掘もできない遺跡があるなか、写真による位置の確定は手がかりになる。[UC-008 §遺跡同定の事例] 同一構図の写真を撮って対応関係を確認し、ドイツ探検隊の報告書と現地の記録の食い違いを突き合わせるには、出版物の写真では解像度が足りず、収蔵されている原資料に当たる必要があった。[UC-008 §古写真を用いた遺跡同定の方法論] 古写真に地図・衛星写真・遺構平面図を組み合わせて同定を進める方法が採られている。[UC-008 §古写真を用いた遺跡同定の方法論] 詳細は「文化遺産と国際協力」を参照。
参照写真の役割
古写真は景観を語る資料であるだけでなく、他の資料の解釈を裏づける参照写真としても働く。地図・平面図・衛星写真と照合するとき、写真は対応点を提供する。撮影の方角が違う写真同士でも、壁面の崩れた箇所などの細部を拡大して突き合わせれば対応点が見つかり、それを基点に建物の構造・壁画の位置・所在地を整理できる。[UC-008 §遺跡同定の事例]
ただし、参照写真として使える範囲には限界がある。North China Railway の3万5千点を超えるアーカイブは、都市の一部を切り取るにとどまり、街並みを連続的に記録したものではない。元資料のメタデータに基づく「駅」単位のマッピングにとどまり、住所のような地点レベルでは対応づけられていないため、過去の景観の再現には十分に有効とはいえない、と講演者は述べている。[UC-016 §North China Railwayの写真アーカイブとAIタグによる検索]
同一構図撮影という手法
同一構図撮影とは、古写真などの基準画像に合わせ、同じ地点・同じ構図で現代の写真を撮ることである。ファインダー上に何を表示するかによって、今昔写真・ビフォーアフター写真・定点観測写真・聖地巡礼写真・位置証明写真・撮影シミュレーションの6種類に分けられる。基準画像を入れ替えるだけで目的に応じて使い分けられる。[UC-004 §同一構図撮影の6つの種類]
仕組みは単純だが、実行は認知的に負荷が高い。3次元のシーンが自分の移動でどう回転して見えるかを頭の中で予測するメンタルローテーションは、人間にとって得意でない処理である。古写真を短期記憶に保持しながらファインダー越しの像と比べ、ずれていれば移動して位置を合わせる、という手順を踏まなければならない。[UC-004 §開発の背景:手動による今昔写真撮影の困難]
加えて、景観を合わせるには景観を読む力が要る。地形のような変わりにくい要素に合わせて構図を決めるには、何が変わり何が変わっていないかを判断する観察力と知識が必要になる。場所をよく知っていればどこから撮ればよいかを容易に判断できるが、知らなければ理解に時間がかかる。[UC-004 §利用上の留意点:難易度のギャップと景観を読む力, UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]
メモリーグラフ——撮影支援の設計
メモリーグラフ(メモグラ)は、このメンタルローテーションの負荷を軽くするためのカメラアプリである。ファインダー上に基準となる古写真を半透明で重ね、それに現実の風景を合わせて撮影できる。iOS版・Android版が無料で公開されている。[UC-004 §メモリーグラフとは:同一構図撮影を支援するカメラアプリ]
設計上の特徴は、拡張現実(AR)とは異なる立場を取る点にある。ARでは過去の写真はファインダーの向こうの世界の場所に固定され、カメラを動かすと見え方が変わる。これは誰かが用意したコンテンツを受動的に鑑賞するためのツールである。メモリーグラフではカメラを動かしてもファインダー上の写真は変わらず、座標系の一致を撮影者自身が能動的に探索する「参加」のためのツールとなる。[UC-004 §拡張ファインダーとしての設計:ARや写真再撮影との比較] 拡張現実としての体験の詳細は「拡張現実と没入」を参照。
紙焼き写真を手に持って同じ場所で再撮影する古来の手法では、写真の裏側の景観が隠れ、2枚を別々のデータとして扱えない。メモリーグラフは2枚を独立したデータとして扱うので、重ねると隠れる景観も別途記録できる。撮影時の位置情報・方位などのセンサーデータも保存でき、ガイド写真の撮影位置や方向を推定する材料にもなる。[UC-004 §拡張ファインダーとしての設計:ARや写真再撮影との比較]
撮れた写真の束ね方
撮れた写真の束ね方として、メモリーグラフは「シーン」「プロジェクト」「アカウント」の3要素を持つ。シーンは基準となる画像(シーン画像)と、それに合わせて撮った複数の写真(フォト)の集合で、同じシーン画像に対する複数人の撮影結果を集め、誰がどこから撮ったかを比べられる。プロジェクトはシーンの順序つき集合で、個人で完結するマイプロジェクトと、複数人で共有する共有プロジェクトがある。共有プロジェクトでは、ビューアで地図上に各シーンの撮影地点を表示したり、フォトを一覧表示したりできる。[UC-004 §アプリの基本要素とプラットフォーム]
多人数で同じシーンを撮ることは、撮影地点の特定にも役立つ。多くの人が同じ場所を訪れて最適な一致を探すと撮影地点の報告が集まり、その平均から古写真の撮影地点を特定できる。[UC-016 §Memorygraphアプリによる景観の変化の把握]
共有には設計上の問題もある。不特定多数が参加するイベントでは、他の参加者がアップロードした写真が自分の画面に表示されることに抵抗を感じる人がいた。共有したい・したくない、知りたい・知りたくないという感覚の個人差に一律の設定では対応できないため、個人単位で閲覧範囲を制限できる「非表示」モードが追加された。[UC-030 §写真共有機能をめぐる課題と対応]
撮影地点への誘導と体験の設計
長崎での実証実験は、同一構図撮影の支援が機能するかどうかは、アプリの機能そのものよりも体験を設計する側の工夫に左右されることを示している。参加者アンケートからは、学習(解説や古写真から発見される事実といった「誘導点」の重要性)、影像重複(重ね合わせから生まれる発見と感動を呼び覚ます工夫)、物語(撮影ポイントへの誘導と模範解答の提示)、場所誘導(被写体と古写真が重なる最後の場面での細部にわたる誘導)、空間認識(ランドマーク等の解説との重ね合わせによる場所への愛着)という5つの観点が整理された。[UC-006 §参加者アンケートから得られた知見]
姫野氏はこれを「メモリアルグラフ+リアル」という発想で定式化している。記憶記録としてのアプリ体験と現実空間でのフィールド体験を組み合わせることで、未来の地域空間を創造するインスピレーションが生まれるという見解である。古写真アプリは単体では機能を活かしきれず、解説・誘導・物語といった付加価値を加えることが観光ツールとして機能させる条件だとされる。[UC-006 §古写真の観光利用と「メモリアルグラフ+リアル」の発想]
ツアー形式でアプリを使うと、参加者のあいだで操作を助け合い、撮れた写真を見せ合う場面が生まれた。ガイドスタッフからはアプリに収録されていない古写真の情報が語られ、かつてその地域に暮らした参加者の記憶が引き出される場面もあった。[UC-030 §ツアー形式の実施で得られた手応えと相互作用] 現地で参加者のあいだに何が起きるかの詳細は「地域とともに進める」を参照。
写真は撮影者のまなざしの記録である
写真はしばしば「カメラで世界を記録したもの」と捉えられ、ARのような技術もその見方に立っている。しかし同一構図撮影を重ねると、カメラの後ろに撮影者がいるという視点が前景化する。どこから、どんな姿勢で、どんなカメラで、どんな意図で撮られたかを抜きにして、写真は考えられない。[UC-004 §メモリーグラフが投げかける問い:写真の再考と身体性]
曾祖父が撮った写真に合わせて同一構図撮影をすると、現在の景観を記録するだけでなく、かつての撮影者と場所・姿勢を共有することになる。植生や煙の量といった細部の違いから「撮ったのは別の時代の別の人物だ」と感じ取れるとき、写真は景観のコピーではなく、撮影者のまなざしを記録したメディアとして浮かび上がる。場所と姿勢を合わせ、時間を超えて撮影者の身体を再体験することが、同一構図撮影の深い意義とされる。[UC-004 §メモリーグラフが投げかける問い:写真の再考と身体性]
同じ視点はシルクロードの踏査でも確認できる。同一構図の写真を撮る過程で、ドイツ探検隊のカメラマンが高い場所に登って撮影するのを好んでいたことが分かった。[UC-008 §遺跡同定の事例] 写真は景観の記録であるとともに、撮影者の行動様式や視点の癖を含む記録でもある。
こうした写真の性格を言い表す語として、姫野研究室のブレインストーミングで、影像の記憶を扱う認識概念として「像覚」が提案されている。古写真を重ねる体験が、視覚・触覚・知覚といった既存の感覚語彙では捉えきれない認識の局面を含むことを示す試みである。[UC-006 §「記憶」概念の整理:MH・MR・MGと「像覚」]