はじめに

本講演は、シルクロードのトルファン地区における遺跡同定に、同一構図撮影を支援するカメラアプリ メモリーグラフ をどのように活用したかを報告するものです。講演者は東洋大学文学部・大学院文学研究科の 西村陽子 氏です。

20世紀初頭にシルクロード地域を調査したドイツ=トルファン探検隊が撮影した古写真と、現在の現地の景観とを照合して、かつての調査地点を特定する。この作業を、日本・中国・ヨーロッパの研究機関の協力のもとで進めた経験が紹介されます。古写真や歴史資料を手がかりに現地調査を行う研究者やアーキビスト、また現地でのデジタルツールの活用に関心のある方に役立つ内容です。

ドイツ=トルファン探検隊の古写真と遺跡同定の課題

このプロジェクトの出発点には、20世紀初頭の探検隊が残した大量の古写真と、その記録の散逸という問題があります。ドイツ=トルファン探検隊は、1902年から1914年にかけて第1次から第4次まで派遣され、シルクロード地帯を調査した探検隊です。当時の最新技術であったガラス乾板のカメラを携え、多数の写真を撮影しましたが、写真を印刷する技術がまだ十分でなかったため、刊行物に収録されたものはごく一部にとどまりました。

撮影されたガラス乾板そのものは、幸いにも ベルリン州立アジア美術館(ドイツ隊将来の考古遺物および探険隊関連資料の収蔵機関)に保存されてきました。その総数は約1500枚にのぼります。ところが、何をどこで撮影したのかという探検隊側の記録はほぼ完全に失われており、書籍として出版されたものに関する情報しか残っていません。

探検隊の報告書(第1次・第2次探検隊の報告書、München 1906/Berlin 1913)は、トルファン盆地の遺跡を大量に報告している一方で、理解が非常に困難でした。報告書には地図がなく手書きの平面図のみで、項目分けも不十分なため、各地点を把握する難度が高いものでした。道路脇にある勝金口(Sengim)のような地点ですら、特定が問題になるほどでした。これらの報告書は、現在では 国立情報学研究所『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ に収録されています。

長らく、ヨーロッパのシルクロード探検隊が調査した遺跡は、大規模で現在でもよく知られている物以外は、すでに失われた、あるいは破壊されたと説明されてきました。そのため、調査された遺跡が今も残っているとは、ほとんど誰も考えていない状況でした。

古写真を用いた遺跡同定の方法論

このプロジェクトでは、古写真・地図・衛星写真・遺構平面図を組み合わせて遺跡を同定する方法を採り、ベルリン州立アジア美術館との協力体制のもとで古写真を整理・活用してきました。

高昌故城の同定で得られた方法

先行する研究として、高昌故城(トルファンにある古代都市遺跡)の遺構同定があります。西村陽子・Erika Forte・北本朝展・張勇による論文「古代城市遺址高昌的遺構比定:基于地図史料批判的絲綢之路探険隊考察報告整合」(『西域文史』第9輯, pp.153-197, 2014.12)です。高昌故城の現況とドイツ=トルファン探検隊の報告とを照合する作業は困難でしたが、地図・現地での地図スケッチ・遺構平面図・衛星写真・景観スケッチ、さらに一部の古写真を用いることで、大部分の遺構を同定できました。この過程では、遺構平面図と衛星写真がよく一致することが分かり、ドイツ隊の地図に掲載された遺跡を現代の地図上にマッピングする作業も進められました。

ベルリン州立アジア美術館との協力と古写真の整理

高昌故城の遺構同定の後、ドイツ隊古写真の存在を知り、ベルリン州立アジア美術館の Russell-Smith・Dreyer 両氏との協力を開始しました。同時にトルファン地区文物局とも協力し、2017年からドイツ隊の調査地の捜索と同定を始めています。

古写真は、第1次から第4次のすべての探検で記録写真として撮影され、B・A・T のシリーズに分けられています。カメラマンは1905年以降の H. Pohrt で、彼のいないときの写真はほとんどありません。第2次から第4次の写真が主体で、第1次隊の写真はごく僅かです。古写真は未整理で、ドイツ隊メンバーによる整理メモやキャプション、日記なども残っておらず、撮影対象や撮影地が不明なうえ、写真自体も不完全にしか残っていません。2009年以降、Dreyer氏を中心とするベルリン州立アジア美術館による整理が始まり、2013年以降は講演者も一部に参加しています。2010年前後からデジタル化が進んで徐々に公開され、イギリスの大英図書館のIDP(国際敦煌項目)やベルリン州立博物館のアーカイブにもアップロードされて、利用しやすくなってきました。

遺跡同定における古写真の効用は大きく、正確な対象を確定する証拠になります。ただし、ルコック(von Le Coq)が出版した書籍に載っている写真だけでは足りず、解像度も低いため、総量として不足していました。そのため、収蔵されている原資料に当たって全体像を調査する必要性が高いものでした。

メモリーグラフを用いた現地調査

2023年度の在外研究を機に、同一構図撮影を支援するアプリ メモリーグラフ を現地調査に導入しました。このアプリは、古写真とぴったり一致する構図で写真を撮影できるため、証拠能力が高く、学術調査において大きな効果を発揮します。講演者はiPhoneの利用者であり、ちょうどこの年に使えるようになっていたiPhone版を導入しました。

現地調査は、相当な制約のもとで行われました。直前までゼロコロナ政策がとられており、当初は表向き受け入れ可能とされながらも、実際には外国人の調査が難しい状況でした。最終的に北京大学からの支援を得て、調査が実現しています。現地は気温が高く、昼間はおよそ50度に達するため、調査ができるのは夕方6時から夜10時の時間帯に限られました。

調査の進め方は、おおむね次のようなものでした。まず古写真からおおよその撮影地点を予測し、遺跡を管理する現地の文物局に行きたい場所を依頼して近くまで案内してもらい、あとは自分たちで探す。そして目的の地点で、古写真と同一構図になるようメモリーグラフで撮影し、同定の証拠とする、という流れです。撮影した古写真をプリントアウトして持っていくと、現地の人が喜んで持ち帰ってしまうため、写真はスマートフォンの中でしか見られないという事情もありました。

中国での運用では、いくつかの問題に直面しました。アプリへのログインがうまくいかず、Googleのサインインを用いる方法も中国の環境では使いにくいものでした。また講演者は、撮影した写真を遺跡ごとに分類し、調査に同行してくれた学生たちが検索できるようにするためのプロジェクト機能を使いたいと考えていました。プロジェクトの作成機能は申請者に限定されているため、参入コードによってプロジェクトを作成してもらうことで対応しています。位置情報については、通常のカメラで撮影すればGPSデータが得られ、人に見せる情報が必要なときには中国版の地図サービスを併用しました。

遺跡同定の事例

メモリーグラフと古写真を用いて遺跡を同定した具体的な事例を、景観が激変した遺跡・報告書と現地記録の食い違い・壁画の位置の特定という3つの観点から紹介します。

景観が激変した遺跡(勝金口)

勝金口(Sengim)第1・第2寺院は写真が多く残っており、おおよその場所を予想して文物局に依頼し、近くまで案内してもらってから自分たちで探しました。実際に行ってみると、その一帯はぶどう畑になっていました。100年前と比べて地域の人口が約10倍に増え、食料生産のために土地が次々と畑へ変わっていったためです。手前では高速道路の工事も進んでおり、次に訪れたときには同じ写真を撮れなくなる可能性が高い状況でした。このように、遺構そのものの環境が変わっていても、どこにあったかを特定できる情報は重要です。所在地が分からないために発掘ができない遺跡もあるなかで、写真による位置の確定が手がかりになります。

報告書と現地記録の食い違い

ドイツ隊の書籍では仏教寺院(5〜7世紀との記述で、年代の記述には揺れがあります)とされる地点が、現在の現地の記録では19世紀の建物とされており、両者が大きく食い違う事例がありました。違うと言葉で説明しても理解してもらうのは難しいため、証拠となる写真を突き合わせて示すしかありません。また、ある著名な大きな遺跡では、現地の人から「もう何も残っていない」と言われましたが、実際には残っていました。同一構図の写真を撮ることで対応関係を確認でき、その過程で、ドイツ=トルファン探検隊のメンバーが高い場所に登って撮影するのを好んでいたことも分かりました。

壁画の位置の特定(Tempel T')

高昌故城内の Tempel D は比較的よく残っており、同一構図での撮影がしやすい対象でした。この建物の写真は、ベルリン州立アジア美術館の整理番号(B 1607 など)でも管理されています。また、ドイツ隊の報告書では、Tempel T'とされる建物の東側の壁面に壁画があったことが、平面図とキャプションつきで記されていました。ここでは、より広い範囲を撮影していたロシアの探検隊の写真と照合することで、同定を進めました。撮影の方角が異なるため、どことどこが対応するのか特定は容易ではありませんでしたが、写真を拡大して壁面の崩れた箇所などの細部を突き合わせることで、対応点を見いだせました。この点を基点として、建物の構造や壁画の位置、建物の所在地といった情報を整理できるようになりました。

調査の成果と今後

一連の調査により、第1次から第3次のドイツ隊が調査した遺跡の同定に成功しました。各地の文物局・文管処・研究所との協力によって、ドイツ隊が具体的にどこを調査したのかが判明し、ベルリン州立アジア美術館との協力によって、ドイツ隊調査の基礎的データの整備への取り組みも始まっています。

高昌故城内の建物のひとつについても、結果的に大量の画像資料が残っていることが分かり、それらを照合・整理するたびに新しい情報が次々と出てくる状況です。整理は現在も進行中であり、今後も基礎的なデータの整備を続けながら、現地での協力者やスタッフとともに調査を進めていく予定です。

講演情報

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この記事は、講演記録を基に生成AIを利用して作成したユースケース記事です。