地名をデジタル研究に活用するには、地名そのものを収録したデータセットが土台となる。 日本の歴史地名については、複数の組織が異なる情報源・粒度・ライセンス戦略のもとでデータセットを構築しており、その性格はそれぞれ大きく異なる。
『日本歴史地名大系』地名項目データセット
歴史地名データセットの中心的な存在が、平凡社『日本歴史地名大系』(全50巻、1979〜2004年刊行)を基にCODHが作成した『日本歴史地名大系』地名項目データセットである。 江戸時代の村まで遡る80,502件の地名データを収録し、各地名には緯度経度をCODHが独自に付与したうえでCC BYライセンスでオープン公開している [UC-013 §『日本歴史地名大系』地名項目データセットとオープン・クローズ戦略]。
このデータセットが採るオープン・クローズ戦略は、情報の性格による分割に基づく。 ID・地名・読み・位置情報は「書き手に依存しない事実情報」としてオープン化し、地名の詳細な記述は「書き手に依存する解釈情報」として購読制のジャパンナレッジに残す構成をとる [UC-013 §『日本歴史地名大系』地名項目データセットとオープン・クローズ戦略]。 地名ページからその記述へリンクが張られており、オープンデータからクローズドデータへたどれる構造になっている [UC-012 §江戸近世村データセット]。 現在は失われ現地を歩いても見つからない地名も収録されており、史料の解釈に欠かせない層を補っている [UC-010 §地名・村のデータセット]。
幕末期近世村領域データセットと江戸近世村統合データセット
村単位の地理的範囲を表すデータセットとして、本田謙一氏が作成した幕末期近世村領域データセットがある。 幕末期の近世村66,581件を収録し、各村には点データとポリゴンデータの両形式が提供されている [UC-012 §江戸近世村データセット]。 ポリゴンの境界は現代の農業集落境界データに由来するため当時そのものではないが、当時の集落境界を近似的に表すと考えられている [UC-012 §江戸近世村データセット]。 各村には石高が結びつけられており、これは国立歴史民俗博物館が公開する旧高旧領取調帳データベースに基づく。石高は徴収できる年貢の量、すなわち各村の経済力を表す [UC-010 §地名・村のデータセット]。
この二つを名称の一致で突き合わせ統合したのが江戸近世村統合データセットで、約56,000件が統合されている [UC-012 §江戸近世村データセット]。 統合には限界もある。一方では一村として記録されているものが他方では東西に分かれて粒度が異なる場合や、表記の違いで対応づけられない場合など、統合できない例が存在する。 粒度の相違・表記揺れ・どちらを正解とするかという問題は歴史データに広く見られ、丁寧に対処するにはかなりの時間がかかると見込まれている [UC-012 §江戸近世村データセット]。
江戸期地理データセット——街道・海岸線・町家領域
村や地名の点データ・ポリゴンデータに加え、江戸期の地理空間そのものを表すデータセット群も整備されている。 江戸末期海岸線/水域データセット・江戸主要街道データセット・「江戸切絵図」町家領域マップの三種が代表で、いずれもGeoJSON形式のオープンデータとして複数の資料を参照しながら人手で構築されている [UC-012 §江戸期地理データセット]。 海岸線データは明治以降に埋め立てられた部分を示し、町家領域マップは人が多く住んだ町方の領域を色で可視化することで居住域の把握を可能にする [UC-013 §江戸の地理空間データと街道・宿場のID化]。
こうした線・点のデータへのID付与も進められている。人や物資の移動経路を「あるIDから別のIDへ」というID間のリンクで表現できれば、構造化の効率化に寄与するためである [UC-012 §江戸期地理データセット]。 街道ナンバリングと宿場ナンバリングの具体的な設計については「地名サービス」を参照。 ただし街道には時期による移設や経路の違いがあり、IDを与えつつ説や時期に応じて複数の経路を割り当てられる柔軟な枠組みが望ましいという指摘が質疑でなされている。公式の定義がなく呼称や経路がぶれる場合が多いため、できるだけ柔軟に対応したい意図が示されている [UC-012 §江戸期地理データセット]。
現代住所データベースの複層性
現代の住所を扱う文脈でも、地名データセットの複層性は明確に現れる。 jageocoderが参照する住所データベースは、CODHの歴史的行政区域データセットβ版地名辞書・国土交通省の位置参照情報(大字町丁目レベル・街区レベル)・Geoloniaの住所データ・国土地理院の電子国土基本図(地名情報)・日本郵便の郵便番号データ・デジタル庁のアドレス・ベース・レジストリ・法務省の登記所備付地図データなど、複数の省庁・機関のデータから構成されている [UC-031 §jageocoder——現代日本の住所ジオコーダー]。 これだけ多くの機関がそれぞれの目的でデータを作っているために全体は複雑で、これらを扱うだけでも大きな労力がかかると指摘されている [UC-031 §jageocoder——現代日本の住所ジオコーダー]。
jageocoderが定義する住所は都道府県から住居番号・枝番まで8階層に分かれ、各層の地名がつながって住所を構成する構造をとる [UC-031 §jageocoder——現代日本の住所ジオコーダー]。 住所ジオコーディングの仕組みや歴史的住所への応用については「テキストとしての地誌」および「歴史的ジオコーダー」を参照。