記録を一回の作業で終わらせず、活動として回す

災害の記録を住民が参加するアーカイブにするとき、先に資料を集めて整理し、その後に公開する、という順序を取らない考え方が報告されている。髙橋氏は、デジタルアーカイブされた資料を実世界の地域社会とどうつなぐかを問いの中心に置き、その手がかりを「活動」の共有に見ている。活動の結果としてアーカイブが整理され、あるいは新しいアーカイブが生み出される流れが重要だという [UC-005 §知見と展望]。展望として示されたのは、楽しむ・集める・考える・伝えるという要素をぐるりと循環させるサイクルである [UC-005 §知見と展望]。

この順序の違いは、運営の設計に影響する。アーカイブを完成物として作ろうとすると、参加者は資料の提供者にとどまる。活動のサイクルとして回すなら、集める行為も考える行為も、それ自体が参加の機会になる。整理の作業は、活動のあとに残る成果物の手入れとして位置づく。

この循環は具体的な構想としても示されている。地域資料を出発点に、展示会・まち歩き・セミナーなどのイベント、今昔比較の企画、その成果のアーカイブ化を順に巡らせる形である [UC-005 §活動のフレームワークと展開]。この構想は景観学習の実践に基づくもので、災害に限定されたものではない。ただし、地域課題の発見から発信、アーカイブへとつなぐ流れは、災害の記録を地域で育てるときの型として参照できる。型の細部は参加の設計にかかわるため、節「地域とともに進める」を参照。

官・学・民をどうつなぐか

活動が実際に誰とともに展開してきたかも報告されている。初期の活動を経て、特定地域のまちづくり団体に焦点を当てた段階に入り、さらに大学生による企画、中学校との連携へと広がり、フィールドワークの企画を外部者との協働へ開いていく段階に入っている [UC-005 §活動のフレームワークと展開]。まちづくり団体、大学、学校と相手が移っていくことは、官・学・民の連携を一度に組むのではなく、段階的に築くやり方があることを示している。

災害に固有の連携の事例は、手元の記事からは読み取れない。たとえば、行政が保管する災害記録と住民の写真をどう併せて扱うか、自治体の防災部局とどう役割を分けるかといった点は、後述の薄い領域として残る。

被災地を訪ねることの扱い

被災地を訪ねる活動は、オンラインでは完結しない。メモリーグラフを用いたメモリーハンティングでは、災害のビフォーアフター写真について、現場に実際に行って想像を巡らせること自体に意義があるとされる [UC-004 §フィールドワークへの活用:メモリーハンティングと災害アーカイブ]。自分の身体を現地に移動させることに価値があり、その価値は画面の上では得られない、という整理である [UC-004 §フィールドワークへの活用:メモリーハンティングと災害アーカイブ]。

具体例は阪神・淡路大震災20周年にあたる2015年の取り組みである。震災直後の記録写真がオープンデータとして公開されており、その写真を用いて現在の同じ場所を撮影した。2015年1月17日にはインドネシア・アチェの参加者と現地で実験を行い、2月1日には Code for Kobe のメンバーと実験を行った [UC-004 §フィールドワークへの活用:メモリーハンティングと災害アーカイブ]。被災地を訪ねる活動は、記録を集める手段であると同時に、記録に向き合う経験そのものとして設計されていることが読み取れる。

撮影の手法や参照写真の扱いは節「写真という資料」で扱い、現地での人との関わり方は節「地域とともに進める」で扱う。本節が残すのは、災害という主題がこの活動に何を加えるかである。上の報告に即して言えば、被災前後の写真を手に現地に立つことが、想像を巡らせる機会になるという点である。

記憶を次の世代へ渡す

記憶の継承については、世代の違いに関する観察が一点ある。同じ取り組みのなかで、震災を直接知らない子ども世代もアプリにすんなり馴染み、文章の説明を読むよりも実際に使うほうが直感的に理解できることが確認された [UC-004 §フィールドワークへの活用:メモリーハンティングと災害アーカイブ]。体験を通した理解が、記述を読む理解を補う可能性を示す観察である。

防災教育への接続は、分担としては本節の主題に含まれる。しかし、手元の記事は防災教育の実践そのものを述べておらず、体験が理解を助けるという観察を示すにとどまる。この観察から先の議論、たとえば学校教育でどう位置づけるかは、記事からは導けない。