AI を研究に使うことは、研究室の内側にとどまらず、権利、費用、言語、地域といった社会の側の条件に結びついている。この節は、2026年8月のDiHuCoハブシンポジウムの参加者アンケートと、SPReAD 1000の採択研究の報告、および講演の記録をおもな手がかりに、その結びつきを整理する。
入力と学習をめぐる懸念
アンケートには、機密情報を含まないファイルでも、そのドキュメントを入力してよいか躊躇するという記述があった。組織内でAI利用への理解度に差があると、個人情報や機密情報が漏れる危険が高まるのではないかという指摘もある [Issues-002 §論点4:入力したデータの行方]。
学習をめぐる気がかりも並ぶ。入力内容が学習されること、誰かの文章がそのまま表示されること、「学習されない」権利を守る仕組みが分からないことが、問題だと思うこと・気がかりなことの設問に書かれていた。ある回答は、AI の性能向上には人文学の資料を学習させる必要があるとしつつ、その学習が権利をないがしろにせず、労働力や環境資源を搾取しない、持続的で協働的な学習の仕組みが求められると述べている [Issues-002 §論点4:入力したデータの行方]。
この懸念への一つの対応が、AI をローカル環境で動かす選択である。SPReAD 1000の発表では、未公開の学術調査写真を解析する研究、機微情報や著作権で保護された資料を扱う国際法の研究、個人情報をローカルのLLMで扱う歴史地理の研究が、手元の環境でLLMを動かす計画を示している。目指されているのは、未公開の画像や機密性の高いデータを外部に送り出さずに解析できる環境である [Issues-004 §論点1:AIを使う研究環境の整え方]。一方、ローカルで動かせるLLMにどんな選択肢があるのかが分からないことも、同じ発表群で課題に挙がっている [Issues-004 §論点1:AIを使う研究環境の整え方]。
公開した学術データの行方
データを公開する側にも気がかりがある。アンケートには、日本の研究が海外企業に収集されていくことへの懸念があり、日本の学術界全体で使える信頼性の高いクラウドや、閉じた空間で日本独自の学術データを蓄積できる場があるとよいという意見も出ていた。生成AIサービスによるリポジトリへの大量アクセスを取り上げた回答は、学術データの公開とそのコストの工面を検討する必要があるとしている [Issues-002 §論点4:入力したデータの行方]。公開を促す動きがある一方で、その公開が誰に、どの規模で利用されるかを見通しにくいという事情がここにある。公開の権利処理そのものは、節「ライセンスの選び方と権利処理」を参照。
SPReAD 1000の発表でも、データ公開に必要な許可・寄託先・費用といった手続きの複雑さが挙げられている [Issues-004 §まとめ]。
基準の動きと、学習データによる偏りと不在
アンケートには、AI によってスタンダードが変わり、誤った答えが正当化されてしまうのではないかという気がかりが寄せられた [Issues-002 §論点2:出力の確からしさの確認]。出力の確かめ方は節「AI で問う・読む」の扱いである。ここで問題になるのは、確かめる手順ではなく、基準が社会の側で動いていくことであり、その動きの一因が、学習データに何が入っているかにある。
出力の偏りは、学習データに何が入っているかに由来する。アンケートのある回答は、年代と地域によって回答や成果に偏りが出ると述べ、特に年代は戦後から1960年代、地域は非英語圏で偏りを感じるとしている。同じ回答は、複数の AI モデルを使うことが批判的な回答を生み出せるのかを問い、普及している生成AIモデルの多くが英語圏で開発され、学習されていることへの懸念を添えている [Issues-002 §論点2:出力の確からしさの確認]。
学習データに入っていないものは、AI の出力にそもそも現れない。顔コレの事例では、AI は学習したことを出力しているにすぎず、学習していないタイプの画像を与えるとまったく認識できないため、何を学習し、何を正解できるようになっているかを常に考えながら使うことが大切だとされている。データの解釈も機械が支援する「遠読」には新たな可能性が広がる反面、方法論の危うさも共存するため、リスクを認識しながら進める必要があるという [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。出力の誤りは検証で見つけられても、現れなかったものの不在は、出力を読むだけでは気づきにくい。
偏りは一人ひとりの出力にとどまらない。アンケートには、個々人としての恩恵は大きいけれども、社会全体が似たような方向に進んでしまわないかという心配も寄せられている [Issues-002 §論点3:人間が担う範囲の見極め]。
SPReAD 1000には、この不在を埋めようとする構想がある。既存の翻訳資料を学習データとして生かす構想や、動物種が判明している資料を学習に加えて正答率が向上した試行である。評価手法を歴史学以外のDH分野へ、コーパス構築の手法をチベット語や梵語などの他の低資源言語へ広げる構想も示されている [Issues-004 §まとめ]。
費用と環境の非対称
AI の利用には費用がかかる。アンケートでは、無料枠では一日の利用可能枠がすぐに尽きること、月払いのプランが多く研究費で利用料を執行しにくいこと、研究費のない人が私費で有料アカウントを持つかどうか悩むこと(格差の拡大)が挙がった。気がかりとして、将来の使用料金の引き上げ、学術ジャーナルの高額な購読料と同様の問題がAIでも起きるのではないかということ、海外に経済的利益が流れていくこと、課金が正義となること、経済力のない者は滅ぶことが並んでいる。いろいろな AI を試したいが、課金しないと本当のところは分からず、無制限に課金する経済力がないという回答もあった [Issues-002 §論点5:利用料の負担]。
研究環境の非対称は、費用だけにとどまらない。SPReAD 1000の事業ページは、AI導入の伴走支援を設ける背景として、データの形式や量、適切なモデルの選択、計算資源の確保、データ管理への対応といった課題と、研究者等の間のAIに関する知識や経験の差を挙げている [Issues-004 §まとめ]。
AI が見つけさせるもの、見つけさせないもの
見つけさせる側については、嵯峨本の研究に具体的な記述がある。古活字の分割と同定は、AI との協働で大きく前進した。ただし、分割は他の本への一般化が課題として残り、同定は性能の改善を続けていて最終的な結果には至っていない [UC-043 §知見と展望]。見つかったものがその対象の範囲にとどまることは、この例からも読み取れる。
見つけさせない側については、学習データの偏りと不在に加え、社会との接続の面も論じられている。ある講演は、研究活動の主体は人間であり、AI が研究する時代に入ったわけではないと述べる。AI を一切使わずに研究を続ける人がいても、その研究者が自身の研究に意義を失うことはないだろうという。ただし、そうした研究は社会との接続ができていないかもしれず、現在の人文学研究の多くは社会とのつながりを条件としないからこそ成立しているのかもしれないという留保が重ねられている。そのうえで、AI は社会とのつながりをつくる手法を支援するところに意義があり、人文学のイノベーションはそこにあるのではないかという見立てが示されている [UC-036 §Agentic DHにおける研究行為の再配置]。研究者像や教育への影響は、節「AI 時代の研究方法」を参照。