AI が研究と教育の場に入ることは、方法の問題であると同時に、社会との関係を問い直す契機でもある。学習と生成をめぐる法的な問い、言語資源と計算資源の非対称、そして人文学の主体性をどこに置くか——これらは技術の選択と切り離せない。

AI が何を見つけさせ何を見つけさせないか

AI が何を見つけさせ何を見つけさせないかは、学習データの構成に直接依存する。デジタル化されていない資料、デジタル化されていても公開されていない資料、規模の小さい言語や専門的な文献群は、大規模モデルの学習データにほとんど含まれない。北本氏がデジタル化からAI化への転回を論じる文脈で「デジタル化をやめるわけではない」と述べた言葉 [UC-043 §Agentic DHという視点] は、裏返せば、デジタル化されていないものはAI化の恩恵の外に置かれるという含意を持つ。古活字の分割と同定がエージェンティックな手法で前進しながら「他の本への一般化は今後の課題として残っている」事実 [UC-043 §知見と展望] は、学習データと手法が特定の資料条件に最適化されており、条件が変わるごとに対応が必要になる構造を示している。

計算資源と言語資源の非対称は、資料の偏りと並んで実践に直接的な影響を持つ。大規模モデルの開発と運用には資本集約的な計算資源が必要であり、その恩恵が及ぶ言語・文化圏は資源投入の規模と正比例する。人文学が扱う多様な言語・文字・時代の資料は、この非対称の構造のなかで不利な側に置かれやすい。

学生が AI を使うときに何を身につけるか

AIが比較的取り組みやすい問題を解ける段階にあるなら、博士課程の学生に取り組みやすい問題を与えるという指導の常道は選べなくなる。数学者によるこの指摘 [UC-043 §Agentic DHという視点] は人文学にも響く。学生がAIを使って翻刻や論考を生成できる状況では、「何を作ったか」より「何を問い、どう評価したか」が教育の焦点になる。

教える側に求められるのは、AIの使い方を教えることだけでなく、AIの出力を批判的に評価する能力、そして自分たちの研究に適したAIを選び開発する能力をどう育てるかという問いに向き合うことだと北本氏は述べている [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。また、AIへの丸投げではなく的確な指示と対話のコントロールが不可欠であるという点も、人文学の主体性を保つために必要な条件として挙げられている [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。

デジタル環境を出発点とする若い世代は、デジタル化からAI化への転回そのものを必要とせず、AI志向の新しい研究を直接始められる [UC-043 §Agentic DHという視点]。この世代への教育は、前の世代とは異なる前提から設計される必要がある。北本氏はこうした変化を、学術システムの大変革として人材育成やキャリアパス、教育にも大きく影響するものと捉え、今から対応を考えるべきだと述べている [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。キャリアパスへの波及の詳細については「エージェントと研究の作法」を参照。

人文学が AI の内側に関わること

AIを外側から批判するだけでは、AIが何を学び何を生成するかという水準には関与できない。北本氏は、AIの出力を批判的に評価する能力を育成できるか、さらにはAIが進化する方向に影響を与えられるかという点を問いとして立て、Anthropicが哲学者を採用してAI開発に関わらせている事例をその一例として挙げている [UC-035 §AI for Humanitiesに向けて]。人文学の関与は、AIを使うかどうかという選択に留まらず、AIの開発と方向づけの水準にまで及びうる。

人とAIのエージェンシーの配分という問い、および研究者が指揮者としての責任を持つという整理については「エージェントと研究の作法」を参照。