文献を「読む」という行為を工程に切り分け、各工程に適したモデルと資料を当て、人間の判断を介しながら翻訳・註釈へ至る——この設計の考え方が、DH における AI 活用の一つの軸として現れている。

「読む」を工程に切り分ける

翻訳は文字列を言語間で置き換えるだけの作業ではない。塚越柚季氏は読解の工程を五つに整理した。字を読むこと、誤りの向こうにある正しいテキストを読むこと、語形・構文を分析すること、文脈・背景を調べること、関連する別の文献を参照すること、である [UC-039 §文献を「読む」とはどういうことか]。現在の機械学習における翻訳が「置き換えのタスク」として設定されていることへの問いが、この整理の出発点にある [UC-039 §文献を「読む」とはどういうことか]。

この整理を受けて構築された VEDA AI は、読解の各工程を部品として組み立てたシステムである。取り込む(OCR・テキスト校正)、語形を読む(形態素解析・構文解析)、意味を調べる(辞書検索・コーパス検索・対話による読解)、翻訳・註釈を生成するという各コンポーネントが対応する [UC-039 §VEDA AI:読解の工程を部品に分ける]。一直線のパイプラインではなく、各工程を行き来しながら翻訳へ至る構成であり、途中の形態素解析や辞書検索の結果もそれぞれが出力として扱われる。人が各段階で誤りを修正して次へ渡すデータを改善し、その記録自体が将来の学習データになる [UC-039 §VEDA AI:読解の工程を部品に分ける]。

言語と対象に合わせてモデルと資料を差し替える

工程を部品として設計することの利点は、言語や対象文献を変えるときにモデルと資料だけを差し替えられる点にある。ヴェーダ語では OCR に専用の TrOCR-Vedic、形態素解析に ByT5-Sanskrit、辞書検索に CDSL を組み合わせる。日本語の古文であれば OCR は NDLOCR-Lite、形態素解析は MeCab と UniDic、辞書検索は JMdict となり、英語であれば VLM・spaCy・WordNet の組み合わせになる [UC-039 §言語ごとにモデルと資料を差し替える]。各工程で最適なモデルを選べれば同じ流れで扱えるため、最初の結果が粗くてもテキストを読みながら AI を育てていくプラットフォームになる、というのが塚越氏の目指す姿である [UC-039 §言語ごとにモデルと資料を差し替える]。

「意味を調べる」工程では、モデル内部の知識に頼らず辞書を引いて確認するという方針をとる。サンスクリット語の辞書には 1800 年代にさかのぼるものもあり、100 年以上の積み重ねの知識を取り込むことになる [UC-039 §VEDA AI:読解の工程を部品に分ける]。辞書の語義はそのまま採用されるのではなく、同義語の扱いや語義の選択は文脈から判断される——辞書自体を批判的に参照する工程として位置づけられている [UC-039 §VEDA AI:読解の工程を部品に分ける]。Digital Corpus of Sanskrit を用いた類似テキスト検索も対話の一部として組み込まれており、似たテキストを一緒に見ながら読み進められる [UC-039 §デモ:一つのテキストを段階的に読む]。

資料を AI が読める形に整える

AI が文献を処理できるようにするには、適切な形に整える前工程が必要になる。ヴェーダ語の場合、アクセント記号を保持した OCR モデルが刊本の行画像からローマ字転写を直接生成するが、誤認識が残る箇所もある。続いてアクセントの修正工程が欠落した位置を系列変換として復元する [UC-039 §ワークフローを支える個別の研究]。整備対象には、アクセントを保持し UD CoNLL-U に対応したヴェーダ語データ、原文・翻訳・註釈のデータ、一次文献・古代註釈・辞書・研究文献を RAG に接続する外部知識が含まれる [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。

データの整備は個人の取り組みにとどまらず、公開によって知識が積み重なる。塚越氏は OCR 用・アクセント復元用・対訳用のデータセットを Hugging Face で公開しており、実際に別の人が公開データセットで OCR モデルを作った事例があったという。ヴェーダ語が読めない人でも形式さえ整っていれば学習できることが、公開のメリットになっていたと塚越氏は振り返る [UC-039 §ワークフローを支える個別の研究]。

DiHuCo ガイドラインシステムでも、素材の整え方が生成品質に直結している。講演の文字起こしを加えた方が、講演資料だけから生成するよりずっと良い品質になる。口頭の説明には話し手が何を強調しているかが表れており、記事の重点を取りやすくなるためだと北本朝展氏は述べる [UC-034 §記事生成のワークフロー]。

翻訳ではなく解釈の表明として——註釈の生成

塚越氏が目指すのは、翻訳文の生成にとどまらず、翻訳とともに註釈を生成して翻訳判断の説明可能性を高めることである [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。古典研究における翻訳は単なる言語間の置換ではなく、テキストの背景や文化的文脈に基づく解釈の表明だからだ。語釈・文法・儀礼や思想の背景・文献間の関係が訳に影響し、註釈は解釈の過程を読み手へ開示する。生成 AI に必要なのは自然な訳だけでなく根拠のある訳だ、という位置づけである [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。

この目標に対して、訳してから翻訳判断を説明する順序、訳文と註釈を同時に生成する順序、先に語釈・文法・文献的根拠を整理して訳に反映する順序という三つを比較する実験が計画されており、どの順序が翻訳の妥当性・註釈の根拠性・専門家の評価しやすさを高めるかが問われている [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。

返ってきたものを専門家が評価する工程

AI の出力を専門家が確認・修正する工程は、読解システムの各段階に組み込まれている。VEDA AI では、一括処理も人間が一つずつ承認・修正する操作も選べる設計になっており、この承認の操作はコーディングエージェントの利用者には馴染みがあるかもしれないと塚越氏は述べる [UC-039 §デモ:一つのテキストを段階的に読む]。

翻訳・註釈の評価には BLEU や COMET に加えて、註釈の正確性・有用性・根拠性についての専門家評価を用いる計画である [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。専門家が評価・修正した結果をモデル改善へ戻す共有プラットフォームの構築が、BOOST 課題の三つの目標の一つとして明示されている [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。具体的には、専門家が註釈を書き換えて根拠資料と判断の履歴を残し、その修正を将来の再学習や few-shot 用のデータに使う設計になっている [UC-039 §評価・解釈共有プラットフォームと公開したい成果]。

DiHuCo ガイドラインシステムでは、生成された記事を AI がレビューし、続いて講演者本人が内容を確認するという二段階の確認工程がある [UC-034 §記事生成のワークフロー]。記事生成と AI レビューに共通する課題として、生成 AI が素材にない情報を書き加えてしまう問題が挙げられており [UC-034 §記事生成のワークフロー]、人間による確認がこの問題の歯止めになっている。

機械認識の結果と原資料を対照させる構成も、評価の一形態として機能する。くずし字認識の結果をビューア上の文字マーカーで表示して原文と比較しながら確認する仕組みや、機械が切り出した画像をマーカー表示モードで人手確認する構成は、人手だけでは扱いにくい規模へ作業を広げながら結果を原資料に照らして確かめることを可能にしている [BP-001 §機械の認識結果を人手の確認に戻す](詳細は「画像の流通基盤」を参照)。

問いの立て方——何をしているかを問う

個々のタスクの性能向上に加えて、そもそもどういったタスクが必要なのかが中心的な課題になってきていると塚越氏は指摘する。人間が読解をする上で何をしているのかを改めて考え直すことが、この課題の裏側にある問いだという [UC-039 §註釈を生成する翻訳モデルという目標]。

工程を分けて部品を差し替えられる設計にすること、辞書を批判的に参照する工程として位置づけること、専門家の修正を学習データへ還元すること——これらはいずれも、AI に文献を「読ませる」前に人間の読解とは何かを問い直した結果として現れている。翻訳を解釈の表明ととらえ、その根拠を支える註釈を生成するモデルを作ることがゴールとして掲げられるのは、この問いへの一つの応答である [UC-039 §はじめに]。