はじめに

株式会社MIERUNEのグラフィックデザイナーである加藤 創氏の講演の記録です。加藤氏は、江戸時代後期の街道や宿場、寺社などを現代風の地図デザインで閲覧できるウェブサービス「れきちず」を手がけています。講演では、れきちずが生まれた経緯、天保国絵図・明治期の地図・現代の地理院地図を使い分けて街道とPOI(地点)のデータを手作業で作成する方法、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)と共同した主要街道のオープンデータ化、そして作り続けるための課題が紹介されました。古地図から歴史GISデータを作成したい方や、歴史地理データの公開・共有に関心のある方に役立つ内容です。

れきちずとは何か

れきちずは、歴史的な地図を現代の地図感覚で楽しめるウェブサービスです。講演のデモ(れきちずのマップ)では、江戸時代後期の地図を、GoogleマップやYahoo!マップのように拡大・縮小しながら閲覧する様子が示されました。GPSによる現在地の表示、箱根周辺などを立体的に見られる3Dの地形表示、現代の地図との比較といった機能も備えています。

現代風のデザインにした理由

加藤氏は、近年は街歩きや街道歩きがブームになっている一方で、古地図は面白いものの現代の人には読みにくいと述べました。例として、毛筆で文字が描かれた天保国絵図「武蔵国」と、文字の向きがバラバラな「築地八町堀日本橋南絵図」を示しています。文字の向きについては、建物の正面入口に向けて書かれているようだと補足しました。そのうえで加藤氏は、普段見ている現代風の地図のデザインにすることで、古地図が誰にとっても読みやすくなると説明しました。

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個人制作から会社のプロジェクトへ

れきちずの出発点は、加藤氏が2019年にTwitterへ投稿した「Googleマップ風の江戸時代の地図」です。江戸時代(1840年頃)の東京周辺を想定した地図で、当時4万いいねの反響がありました。ただし、この地図はイラストレーター(イラレ)で1枚の画像として作成したもので、拡大・縮小はできませんでした。

拡大・縮小できるウェブ地図にするため、2023年8月にれきちずを公開しました。公開の翌日には10万PVに達し、ネットメディアや全国紙のほか、地上波テレビでも放送されました。一方で、公開当時はデータも少なく、加藤氏はデザイナーによる個人開発に限界を感じたため、会社に相談してプロジェクトを移管しました。株式会社MIERUNEは位置情報関係の会社であり、プログラミング関係は社内のエンジニアと一緒に進めることになりました。移管後のれきちずでは、地形の3D表現や、ベクタタイルによる滑らかな表示が可能になっています。

データの種類と作成の流れ

れきちずには、次の5種類のデータがあります。

  • 街道:約3.5万km
  • POI(地点):6,300件超
  • 領域:町家、武家地、寺社地など
  • 境界:令制国境
  • 自然物:海岸線、河川、湖沼など

講演では、このうち街道とPOIの作り方を詳しく解説しました。加藤氏は、他の3種類も作業の内容はおおむね同じだと説明しています。街道とPOIの作成は、「資料を集める」「判読する」「線/点を引く」「属性をつける」の4つの工程で進めます。最後の工程では、作成した線や点に名前などの属性を付けます。

資料を読む:絵図・明治の地図・現代の地図の使い分け

街道の経路は、古地図と近代の地図を行き来しながら読み取ります。

天保国絵図を基本にする

データ作成の出発点となる資料は、天保国絵図です。天保国絵図は、江戸幕府が天保年間(1830年頃)に各藩に作らせた国ごとの絵図です。街道が朱線で描かれており、全国の交通網の骨格がわかります。

しかし、天保国絵図は絵図であり、測量に基づいた地図ではありません。距離も方位も正確ではなく、そのまま重ねて利用することはできません。天保国絵図「安芸国」に、描き起こした安芸国(現在の広島県の一部)の領域を重ね合わせると、両者は重なりません。

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明治期の地図と突き合わせる

そこで、明治初期の道路が描かれた迅速測図や旧版地形図と突き合わせ、村と村を結ぶ道がどの街道だったのかを推定します。例えば、花嶋村や犢橋村(こてはし)、長沼新田の周辺について、天保国絵図「下総国」と迅速測図を見比べると、ほぼ同じ場所に村名があり、街道が通っています。このように照合して、絵図の朱線が迅速測図のどの道にあたるかを推定します。

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ただし、明治の地図もずれています。迅速測図などを地理院地図と重ねると、場所によっては50m前後のずれが出ており、図郭ごとにずれ方も違います。迅速測図とれきちずを重ね合わせた現在の牛込付近の例では、最大で50m程度ずれています。また、測量誤差だけでなく、河川・鉄道・道路が混み合う箇所を見やすくするために位置をずらす「転位」もあります。転位すると見やすくはなりますが、正しい位置ではなくなります。そのため、明治時代の地図であっても、そのままトレースはしません。

3つの資料と文献の使い分け

れきちずでは、江戸時代の天保国絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ)で経路を読み、明治時代の迅速測図(農研機構 歴史的農業環境閲覧システム)で道を特定し、現代の地理院地図(国土地理院)の上に線を引きます。一本の街道につき、この作業を延々と繰り返します。

さらに、各教育委員会の「歴史の道調査報告書」や自治体史・郷土史、論文も参考にして裏を取ります。デジタル化されていないものは、現地の図書館に足を運んで確認しています。参考文献は古地図・絵図、報告書、自治体史、論文などで400点を超え、一覧はれきちずのサイトに掲載しています。

線を引く:地理院地図の上での手作業

読み取った経路は、オープンソースのGISソフト「QGIS」で、地理院地図を下敷きにして一本ずつ手で描いています。旧街道が現在の道とどのような関係にあるかによって、線の引き方が異なります。

現在の道との関係に応じた引き方

  • 現代の道に残っているとき:旧街道がそのまま現在の道路になっている区間では、迅速測図などの形状と照合しながら、現在の道の線形をなぞります。品濃(横浜市戸塚区)付近の東海道は、現在でも当時の面影が残る区間です。
  • 残っているが当時の姿ではないとき:道路改良や拡幅で線形が変わり、当時の面影がない区間は多くあります。旧道の線形が読めれば再現し、難しければ現在の道の中心をとります。田町付近の東海道は、迅速測図ではカクカクした直線ですが、現在はゆるやかなカーブを描いています。
  • 痕跡が消えているとき:区画整理、河川改修、鉄道敷設など、明治以降の開発で道が失われた区間も多くあります。この場合は、近代の地図や残存区間から経路を推定して引きます。千住宿付近の奥州・日光道中は荒川放水路で分断され、道の一部は現存しません。

道路改良について加藤氏は、江戸時代の道は人の通行が中心で、車が通るには細すぎたため、明治から大正・昭和にかけて道路改良が行われ、当時の道が残っているところは少ないと説明しました。

描く粒度と作業量

近代の地図をそのままトレースせず、ズームレベル15相当で見たときに大きなズレのない粒度にしています。ズームレベル15は、個別の街区が見えるくらいのサイズです。

100kmの街道を描くのに1日以上かかることも多々あります。例えば、白河から三厩までの奥州道中(松前道)は全長600kmを超えます。2023年の公開から3年で全国の街道3.5万km分を作成しました。主要な街道は網羅しつつある一方、細かい道は大半が残っています。

山道の推定と精度

一番難しいのは山道です。山の中の道は使われなくなれば消えるため、近代の地図に描かれていても、現在の地図には残っていない区間が多くあります。千葉県大多喜町付近では、迅速測図に尾根伝いの道が描かれていますが、この道は現存しません。こうした区間では、次のような手がかりを重ねて経路を推定します。

  • 旧道を踏襲した登山道をたどる
  • 等高線から越えられそうな鞍部を探す
  • 谷筋や尾根筋の通りやすい経路を読む
  • 峠の前後の区間から内挿する

精度は区間によって異なります。資料から確実に読める区間もあれば、地形などから推定した区間もありますが、データ上は同じ一本の線であり、精度は記録していません。加藤氏は、資料が残っているかどうかによって精度がまちまちであることも、今後の課題ではないかと述べました。

POIを選び、打つ

POIは6,300件を超え、関所、宿場、城、神社、寺、橋、茶屋など、江戸時代のさまざまな地物を収録しています。れきちずのアイコンには、宿場、渡船場、史跡、劇場、門、橋、商店、茶屋、寺、神社、城、関所などがあります。何を地図に載せるかは、当時の資料に基づいて決めています。

分類と表示順

神社か寺か、城か陣屋かといった分類では、判断に悩むこともあります。神社か寺かについて加藤氏は、当時は神社と寺がそれほどはっきり分かれていなかったことを理由に挙げました。

また、表示順を制御するランクを付け、どの縮尺で何を見せるかも決めています。低いズームでは成田山や関所など重要度の高いPOIを表示し、高いズームでは継立場や村名なども表示されます。

資料に基づく選定

POIは、国絵図や名所図会などに記載されているものを中心に採り、選定の恣意性をできるだけ避けています。名所図会は江戸時代のガイドブックで、例えば『江戸名所図会』には、飯田町の中坂や九段坂(現在の千代田区)が描かれています。

当時人気だった場所と現在有名な場所は、必ずしも一致しません。そこで、浮世絵や講の記録などから当時の賑わいを読み取り、当時の観光地にあたる場所も採るようにしています。例として加藤氏は、神奈川県の大山に参詣する大山詣りの人々を描いた浮世絵を示し、江戸時代には大山への参詣が多かったようだと述べました。

資料のカバー範囲には偏りがあります。江戸や東海道のように名所図会などの資料が充実している地域がある一方で、そうした資料がない地域もあります。加藤氏は、この地域ごとの偏りをどうするかを課題に挙げました。

CODHとの共同によるオープンデータ化

れきちずでは、CODHと共同で江戸後期の主要街道のデータを作成しました。主要街道8,360kmのデータは、「江戸主要街道データセット」(CODH)としてCC-BYで公開されています。

現地の図書館にしかない文献も多かったため、日本全国の図書館を訪問して資料を集め直し、全区間をあらためて精査しました。そのうえで、線の描き直しや、新たな街道の描き起こしを行いました。

街道ナンバリング

再利用可能なデータにするには、街道を一本ずつ識別する必要があります。そこでCODHの提案により、街道ナンバリングを設定することになりました。

番号は、街道を表す「R」に3桁の数字を付けた形です。五街道は特例として001〜005とし、それ以外の街道は百の位を地方ごとに割り当てます(1は北海道、2は東北、3は関東など)。下二桁は、基幹街道かどうかで分けています。基幹街道を定義して重要度ごとに番号を振り分けていますが、基準は地方ごとに異なり、関東は公的な格、東北などは広域の幹線を基準としています。例えば日光御成道はR302で、関東の基幹街道にあたります。講演では、次のような番号が紹介されました。

  • R001 東海道
  • R002 中山道
  • R302 日光御成道
  • R600 京街道
  • R700 西国街道

作り続けるための課題と展望

一次資料から歴史GISデータを作るには、膨大な時間と手間がかかり、れきちずのデータもまだ途上にあります。現状のれきちずの道路・POIデータは、西日本や北日本が少なくなっています。

学術機関と民間企業の協働

学術機関と民間企業が連携し、成果をオープンデータとして社会に還元する形として、CODHと株式会社MIERUNEの協働があります。主要街道のデータと「「江戸切絵図」町家領域データセット」は、この形で実現しました。

オープンデータ化でできること

加藤氏は、江戸主要街道データセットや宿場データセットなどを使い、れきちず本体とは別に、趣味として「江戸時代の経路検索」を試作しました。江戸から京までの検索画面では、移動手段として徒歩・馬・早駕籠・継飛脚が並び、歩みを「ふつう」(1日10里)とした例で、東海道経由で14日・518km、甲州道中・中山道経由で15日・522km、中山道経由で16日・537kmと表示されています。加藤氏は、これもオープンデータがあったからできたことであり、公開データがあればこうした利用も生まれるとして、オープンデータが非常に大事なのではないかと思ったと述べました。

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基盤地図としてのれきちず

加藤氏は、れきちずは歴史地図を届ける場であると同時に、他のサービスの土台にもなっていると説明しました。CODHの「edomiルート」などで、れきちずが背景地図として利用されています。

一人で作り続けることの限界

データ作成の一貫性を保つため分担が難しく、現状は加藤氏が一人でデータを作っています。加藤氏は、全国をどこまで一人で作れるかは難しい問題である一方、作る人によって品質にばらつきが出てしまうため、そこをどうするかが今後の課題ではないかと述べました。北海道のように、データ整備が途上の地域もあります。

続けるために必要なこととして、加藤氏は次の2点を今後の検討課題に挙げました。

  • 作り続ける仕組みをどう確保するか
  • 研究データを活用できる仕組みをどう作っていくか

2点目について加藤氏は、研究者や学生が研究で歴史的なGISデータを作成しているという話を聞く一方で、研究が終わるとそのまま眠ってしまうこともあると聞いていると述べ、そうした埋もれたデータを活用できる形にする方法を検討課題としました。

講演情報

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この記事は、講演記録を基に生成AIを利用して作成したユースケース記事です。