江戸時代に人々は様々な名所を訪れて楽しんでいました。その中には現在も残っている名所もありますが、多くの名所ではその風景はすでに失われています。江戸のどこにどんな名所があったのでしょうか。「江戸観光案内」で収集した江戸時代の観光ガイドブックの挿絵から、江戸の名所を巡ってみましょう。

ピックアップ

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    寛永寺

    寛永寺は上野台地全体に広がる大伽藍でした。現在はその大部分が上野公園として整備されています。今日の上野公園と同様に寛永寺も桜の名所であり、多くの挿絵には花見に興ずる人々の様子が描かれています。

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    江戸見坂

    edomiの名前の由来でもある江戸見坂は、江戸の街を一望できる坂として有名でした。現在では高層ビルに囲まれて町を見渡すことができませんが、港区虎ノ門に残る勾配からは往時をしのぶことができます。

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    江戸城

    将軍の居所であり、幕府政治の中枢だったのが江戸城です。「千代田城」や「江城」とも呼ばれていました。最初期の案内である『江戸名所記』には、発刊直前に焼け落ちてしまった天守閣の姿も描かれています。

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    小金井橋

    江戸市街から外れた場所にある小金井橋は、桜の名所として有名です。比較的後期になってから登場する名所で、現在の小金井市と小平市の境に架かっており、江戸観光の郊外への広がりを知ることができます。

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    神田神社

    神田神社(神田明神)は、今日でも江戸総鎮守として名高い神社です。最初期の案内である『江戸名所記』から登場する名所で、神社の建物のみでなく、江戸市中を練り歩く壮麗な神田祭の行列も描かれます。

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    浅草寺

    浅草寺は現在と変わらない観光地でした。「志ん橋」(新橋)と書かれた雷門の大提灯は今日のイメージとも合致します。さらに「奥山」と呼ばれるエリアは様々な出し物・興行が行われ、多くの人々が集まっていました。

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    待乳山

    歓喜天(聖天)を祭る待乳山聖天は、しばしば単に待乳山と呼ばれていました。浅草寺の近くにあり、今日では浅草七福神の一つとして有名です。江戸時代には、周辺を見渡せる高台としても人気を集めていました。

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    日本橋

    日本橋およびその周辺の本町は、最初期に整備された市街地の一つで、商業や町人文化の中心として栄えた地域です。にぎやかな魚市場や立ち並ぶ蔵などが挿絵に描かれ、その繁栄ぶりが窺えます

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    飛鳥山

    現代も花見客で賑わう飛鳥山は、享保期に桜の名所として整備されました。周辺には料理屋も並び、花見の名所として人々を惹きつけていました。整備した徳川吉宗を称える石碑も、ランドマークとしてよく描かれます。

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    両国橋

    隅田川にかかる両国橋は大橋とも呼ばれ、江戸時代からその巨大さで有名でした。「長さ九十六(四)間」という説明がしばしば書かれます。後には花火の名所としても描かれるようになっていきます。

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