研究を専門家の外へ開くとき、届く先が増えるだけでなく、問いを立てる主体と研究の形そのものが変わる。誰が行為者になるか、専門性はどこに残るか——その問いへの答えは実践によって一様でない。

開くことで問いの立て方と参与の形が変わる

市民が景観を撮影して記録する活動では、参加することが同時に「読む」という営みになる。同一構図の写真を画素レベルで比較すると、人が気づかないような微細な変化が現れ、何が変わり何が変わっていないかを参加者が実感を伴って理解できる。この体験は写真を研究する人だけでなく、撮影に参加する市民にとっても固有のものだ [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]。「スマホで三条 まちなみの変遷発見ラリー」のような取り組みでは、スマートフォンで気軽に参加できる形式がコミュニティアーカイブの一環として機能しており、写真を市民参加型の活動に用いるという意味でパブリック・ヒューマニティーズとして位置づけられている [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]。

参与の入口の広さと読みの深さのあいだには張力がある。景観をうまく読み取る技術はその場所についての知識に依存し、場所をよく知っていれば撮影地点の判断は容易だが、知らなければ理解に時間がかかる [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]。知識がなくても参加できる設計が問いへの参与の入口を広げる一方で、読みの精度は知識の差に引きずられる。開くことが「誰でも等しく問いに関われる」を意味しないことは、この張力が端的に示している。

嵯峨本の事例では、開くことの意味がまた異なる。17世紀の古活字を対象とした情報学的分析において、古いコンテンツを新しいプラットフォームに載せて文化遺産を再生することが、パブリック・ヒューマニティーズの新しいアプローチとして位置づけられている [UC-043 §知見と展望]。ここでは参加者が何かをするのではなく、研究の成果が届く形と届く先が変わることが「開く」の中身になる。

デジタルが変えた回路

写真や映像を「視覚的」であると同時に「空間的」な歴史資料として捉え、地理座標を通じて実世界と結びつけることで、視覚資料の収集と解釈を市民と分かち合う回路が生まれる [UC-016 §視覚的・空間的な歴史資料という視点]。空間的な文脈の中で視覚資料を批判的に読み解くこの営みは「digitally-enabled criticism」と呼ばれ [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]、テキストには現れない景観の細部を扱う専門的な技法でありながら、市民参加型の活動の文脈でも機能している。

研究が閉じた完成品として出るのではなく、進行中の問いを持ち出す形も開くことの一様式になっている。嵯峨本では、AIとの協働によって古活字の分割と同定が大きく前進しつつも、他の本への一般化や性能の改善は今後の課題として残っており [UC-043 §知見と展望]、研究の途上が公開の対象になっている。

AIが問い直す専門性の所在

AIにどこまでエージェンシーを委ねるかという問いは、専門性がどこに残るかという問いと重なる。Agentic DHという概念が問うのは、エージェンシーの配分が変わるとき研究者とは何をする人かということだ [UC-043 §Agentic DHという視点]。アナログとデジタルの軸が計算可能性とアクセシビリティを高める一方向の変化であるのに対して、人間とAIの軸はエージェンシーの配分を選ぶ変化として対置される [UC-043 §Agentic DHという視点]。

市民が参加し、AIが作業を担うとき、問いを立てるのは誰か、成果に誰の名が載るかという問いは、運営の手続きではなく研究の構造に関わる。将来の研究者はAIの「指揮者」になるという位置づけは、指揮者が楽器を調整して良い音楽を作る責任を負うように、研究者も多くの作業をAIに委ねながら研究を成功させる責任は手放さないという構造を示している [UC-043 §Agentic DHという視点]。この三類型と指揮者概念の詳細は「エージェントと研究の作法」を参照。

なお、デジタル化からAI化への転回が必要とされる世代と、デジタル環境から出発してその転回を必要としない若い世代とのあいだには非対称がある [UC-043 §Agentic DHという視点]。開くことが研究の構造を変えるとすれば、この世代差はその変化の速度と形を左右する要素になりうる。