研究を専門家の外へ開くとは、成果を公開することにとどまらず、誰が問いを立て、誰が方法を組み立て、誰が成果の意味を判断するのかという研究の構造を問い直すことである。デジタルとAIの普及は、この構造が変わりうる条件を整えつつある。
開くとは、受け取る者から問いを立てる者へ
赤間亮氏が構想するデジタル・パブリック・ヒューマニティーズは、パブリック・ヒューマニティーズに単にデジタルを追加したものではない。市民研究者が専門家の成果を受け取るだけでなく、自ら問いを立て、独自の知的活動を行い、成果を社会に返せる状態を指す。AIは専門家の代替ではなく、市民が知の生産に参加するための足場として位置づけられている [UC-036 §市民に開かれる人文学とその条件]。
この構想が実現に向かえば、研究の側も変わる。研究者が問いを独占し、市民は資料の提供者か成果の享受者にとどまる関係が、当然のものではなくなるからである。北本氏は、古いコンテンツを新しいプラットフォームに載せて文化遺産を再生することを、パブリック・ヒューマニティーズの新しいアプローチと位置づけている [UC-043 §知見と展望]。
専門性はどこに残るか
開くことは、専門性を不要にしない。赤間氏によれば、大学や博物館に求められるのは、信頼できるデータとメタデータを整備すること、学び方を提供すること、成果を検証すること、権利やプライバシーを守ること、専門家と市民が対話する場を作ることである。アクセスを開放するだけでなく、研究する能力と責任を社会に開くことが、Agentic DH時代の公共性だという [UC-036 §市民に開かれる人文学とその条件]。
従来は専門家が担っていた研究行為のうち何が変わるのかについては、手がかりが教育現場にある。以前の人文学系の学生は、プログラミングや統計処理、画像処理をある程度習得してから研究課題に取りかかる必要があり、問いに到達する前に挫折する者もいた。いまは、AIとの対話でコードを作り、エラーを説明させ、必要なツールを組み合わせられる。技術は研究への入場資格ではなく、研究の途中で獲得し組み替える資源になったと赤間氏は説明する [UC-036 §生成AIによる教育現場の変化]。学生に起きた変化は一般市民にも起こりうる、というのが氏の見方である [UC-036 §市民に開かれる人文学とその条件]。
ただし赤間氏は、技術的な入口が開けば研究が成り立つとは言わない。プログラミング未経験の4回生が、CDジャケットのカラーコードを抽出し、色から検索できるシステムを作った事例で重要なのは、学生が自分の関心から問いを立て、AIを指揮しながら問いと方法と成果を結びつけた過程である。AIが答えを出したのではなく、何を成果とするかを学生自身が考えた点が評価される [UC-036 §AI時代の探求型DH:レコードジャケットのデザイン研究, UC-036 §学生の研究の評価と教員の役割]。専門性は、問いを立てることと、成果の意味を判断することに残る。
もう一つ、専門性が資料への知識として残る場面がある。写真を資料とする景観研究では、景観をうまく読み取る技術はその場所や景観についての知識に依存する。場所をよく知っていれば、どこから撮ればよいかを容易に判断できるが、知らなければ理解に時間がかかる [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]。参加が開かれても、資料を読む知識の差は消えない。
デジタルが開きやすくした回路
デジタルが「開く」ことを容易にした筋道は、少なくとも二つある。
一つは資料へのアクセスである。『東海道四谷怪談』のVR演劇体験を作った学生は、ARCの浮世絵ポータルDBと催事型写真ポータルDBを3Dモデルの参照元とし、大西SPレコードコレクションから役者の声を取得して音声を生成した [UC-036 §AX時代のDH:ARCアーカイブを活用したVR展示]。資料が整備され、デジタルで公開されていたことが、一人の学生による制作の前提になっている。
もう一つは参加の形式である。市民が自分のスマートフォンで参加できる「スマホで三条 まちなみの変遷発見ラリー」は、専門の機材や知識を持たない人が、写真という視覚的・空間的な歴史資料の収集に加わる回路を開いている。撮影に参加する人も、同一構図の写真を比べ、何が変わり何が変わっていないかを実感を伴って理解できる [UC-016 §景観を「読む」ための新しい技術]。参加が資料の収集にとどまらず、参加者自身の理解の変化につながる点が、単なる収集との違いである。
開くことが研究の質に返ってくる筋道
赤間氏が示す筋道の一つは、成果物が研究の問いへ折り返すことである。『東海道四谷怪談』のVR体験でストーリーの分岐を設計すると、四世鶴屋南北がこうした筋を作った可能性が見え、いま伝わる筋にどれだけの価値があるのかを逆に検証できるのではないか、と赤間氏は言う [UC-036 §AX時代のDH:ARCアーカイブを活用したVR展示]。体験として設計することが、文献研究への問いを生む。
もう一つは、研究素材と研究活動と社会が連鎖することである。ビゲロー本『酒呑童子絵巻』は、修復とデジタル化から、展覧会、AIを活用したインタラクティブなコンテンツ化、学生の指導へと展開した。絵巻の首が飛ぶ場面をAIで動かしたプロモーション映像について、赤間氏は研究活動ではないと明言しつつ、研究素材と研究活動と社会を結びつけるアイデアとして意外に評判が良かったと紹介する [UC-036 §研究成果を社会につなぐ:酒呑童子絵巻とARCの展開]。研究と社会をつなぐ活動の境界は、この事例では意図的にあいまいに置かれている。
赤間氏は、社会との接続を研究の条件にすることには慎重である。一切AIを使わずに研究を続ける人が、自身の研究に意義を失うことはないだろうという。現在の人文学研究の多くは社会とのつながりを条件としないからこそ成り立っているのかもしれず、その手段が簡単に獲得できるようになれば、何かが始まる、というのが氏の見立てである [UC-036 §Agentic DHにおける研究行為の再配置]。開くことを強いる議論ではなく、開く手段が低いコストで手に入ったとき何が起きるかを問う議論として置かれている。
北本氏は、古活字の分割・同定がAIとの協働で前進するなか、Agentic DHは研究のやり方と成果の公開のやり方を変えるとともに、知性についての私たちの信念への挑戦になると述べる [UC-043 §知見と展望]。研究者でない人がこの過程に加わるとき、誰が何を知っていることになるのかという問いは、専門性の所在をあらためて問い直す。