画像の様式分析は、美術史が写真カードを並べ替えて行ってきた比較を、切り抜いた部分を大量に並べる形に広げたものである。顔のような部分を取り出して並べると、一枚の画面を眺めるだけでは気づきにくい違いが、全巻にわたる傾向として現れる。部分の切り出しや集計の仕組みは「部分を切り出す」、横断検索は「資料をさがす・集める」に譲る。本節は、それらを様式分析に適用して何が言えるかに絞る。
部分を並べて様式を比べるという方法
顔貌コレクション(顔コレ)は、美術作品に登場する顔の部分を切り取って集め、様式研究に活用する実験的なプロジェクトである。収集には IIIF で公開された画像を用い、切り取った顔には統一的なメタデータを付与している [UC-041 §顔貌コレクション(顔コレ)とは]。この一連の作業を、研究チームは GM 法と名付けた。写真カードを並べ直し、分類し直してきた従来の様式分析を、デジタル環境で大規模化・効率化し、情報を付加できるようにしたものである。名称は、様式研究の泰斗 Giovanni Morelli と、切り取った部分をよく見ることを意味する Gazing Microcontents のダブルミーニングになっている [UC-041 §手法の一般化としてのGM法]。
対象の検出を機械に任せる範囲
顔の切り抜きという作業は機械学習で支援できる。顔コレの顔貌画像とメタデータは機械学習用のデータセットとして構築されており、未知の絵巻物から画面上の顔の座標を自動認識させる実験も行われている [UC-002 §顔コレデータセットと機械学習との連携]。検出の手順や精度は「部分を切り出す」に譲る。様式分析の側から見て重要なのは、機械が担える範囲に限りがあることである。
機械が担うのは検出までで、何を付与するかの判断は人が行う。予備知識のない人には男性の顔にしか見えないものでも、美術史の観点から酒呑童子だと分かる人が、キーワードを付与する [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。また AI は学習したことを出力しているにすぎず、学習していないタイプの画像はまったく認識できない [UC-040 §機械学習とは何か]。何を学習し、何を正解できるようになっているかを常に考えながら使う必要がある。
したがって、機械の検出結果は結論ではなく、解釈のための手がかりとして位置づけられる。機械学習の価値は顔の切り抜きという労力の軽減にあり、データの解釈は専門家の精読に基づく、という整理が示されている [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。
全数を並べて見えるもの——印象を確かめる
場面ごとの印象として捉えられてきたことを、資料全体で確かめられる形にする点が、この方法の中心的な価値である。顔を全数そろえれば、美術に携わる人が直感的に感じていることを数で再確認できる。件数や偏りの具体的な結果は「部分を切り出す」に譲る [BP-005 §網羅的なデータによる検証]。ここで述べたいのは、数では捉えにくい質的な違いも、全数を並べることで確かめられるという点である。
その例が、清浄光寺甲本における僧侶と尼僧の描き分けである。この時代の時宗教団は、男性の僧侶と女性の僧侶(尼僧)が一緒に旅をしながら布教する、定住しない教団だった。男女の区別が緩く風紀に問題があると、時の権力者から指弾される可能性があった。絵巻の制作者はそのことに留意し、同じ場所にいても男女が接近していないことを画面で強調している [UC-042 §顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較]。
そこで顔をどう描くかが問題になる。原本のある絵巻を転写するときの原本に対する姿勢の問題であり、同時に、男性と女性をどう表象するかという絵師の技術の問題でもある。男性の僧侶に髭の表現を残すような記号的な表現が図像の解釈にあたるとすれば、表現のレベルでは、女性の顔の輪郭が卵型でつるっとしているのに対し、男性の輪郭はごつごつしているという違いが見られる [UC-042 §顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較]。
こうした違いは、場面を見ればその場で分かる。しかし、全巻のすべての僧侶と尼僧を取り出し、絵師ごとにシールを貼っていけば、網羅的に分かるようになる。この作業は、絵師の様式、図像の解釈、原本に対する理解という複雑な問題を見ていく手がかりになる [UC-042 §顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較]。僧侶と尼僧をすべて平面上に並べて整理することで、男女の描き分けに加え、絵師ごとの傾向の違いまで明らかになったとされる [BP-005 §網羅的なデータによる検証]。
様式の比較から制作の分担を推定する
10巻を超える絵巻を一人の絵師がすべて描くことはなく、親方クラスの絵師が率いる絵所が、助手を擁して制作した [UC-042 §絵師の工房と共同制作]。様式の違いは、そうした分担を推定する手がかりになる。
清浄光寺甲本は、先行研究によって全10巻が三つの類に分けられている。彩色・描線ともに標準的な一類、濃彩で装飾的な二類、淡彩による三類である [UC-042 §清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格]。この分担は、絵師の格式と結びついているという指摘がある。絵巻では、第1巻を最も格の高い絵師が、最後を二番目の絵師が担当するのが一般的である。この絵巻でも、前半の一遍伝は格式の順に担当されている。後半の他阿伝でも、最初と最後は二類の絵師が描いている。ただし、同じ工房に三人の絵師がいたのか、三つ別々の工房があったのかは、現状では判断が難しい [UC-042 §清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格]。
顔だけを切り抜くと、様式の違いの見え方が変わる。二類は樹木や草花が装飾的で近世絵画を思わせるが、顔を切り抜くと意外に古典的で、人物や景観の描写には一類と共通する基盤がある。三類は顔だけなら一類によく似ているが、衣は淡い彩色でコントラストが弱い [UC-042 §作品調査と高精細画像による三分類の再検討]。ここから、一類には14世紀初頭の画趣を再現し回帰する指向、二類には対象を明確化・意匠化する指向、三類には原本をやや簡略に転写する傾向が読み取られている。傾向は異なるが、共通するのは14世紀初頭の正統やまと絵への強い意識であり、三類はこれを解釈する三者三様の方向とされる [UC-042 §作品調査と高精細画像による三分類の再検討]。一方、詞書の筆跡分析は14世紀半ばから後半の書風を示した [UC-042 §「遊行上人縁起絵巻」諸本をめぐる研究状況]。これとあわせると、三類を隔たった時代に振り分けるのではなく、同時代の解釈の違いとして捉え直す見通しが開ける。
この比較は二つの水準に広げられる。工房間比較は、異なる類の絵師・工房の細部を比べるもので、顔のほか、樹木、岩や土坡、水景、建築物にも広げられる。工房内比較は、同じ類の中の微妙な画風の違いを見るもので、たとえば主要な部分と添景といった分担が対象になる [UC-042 §工房間比較と工房内比較]。「玄奘三蔵絵」は第1巻から第6巻までと第7巻から第12巻で画風が変わり、一見して分かる例である。「一遍聖絵」と「春日権現験記絵巻」は絹に描かれており、画絹の織成密度が同じ作品の中で一定である。そのため、顔や部分をスケールを揃えて等倍で比較すれば、作品内の微妙な差異を見つけられるのではないかとされる [UC-042 §工房間比較と工房内比較]。
遠読は精読の範囲を広げる
テキスト研究から借りた精読と遠読の対を画像に当てはめても、遠読は精読を置き換えるものではない。機械学習でデータセットの規模を拡大することは、従来より広い範囲での精読を可能にすると位置づけられている [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。全数を並べることで確かめられる対象は、男女の比率や顔の向きの偏りのような数として表れる傾向から、僧侶と尼僧の描き分けや絵師ごとの傾向といった質的な違いまで幅がある [BP-005 §網羅的なデータによる検証]。
他方、データの解釈も機械が支援する遠読には、新たな可能性が広がる反面、方法論の危うさも共存している。リスクを認識しながら進める必要があると述べられている [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。規模を変えて見るという立場そのものは、「遠読と精読」で扱う。
限界と可能性
得られた結果は結論ではなく、解釈の手がかりとして扱われる。何を付与し、結果が何を意味するかの判断は、対象を知る人が担う [BP-005 §解釈の手がかりとしてのデータ]。集める範囲についても、日本中の作品から集められるようになれば、作品の一般的な傾向がより明らかになっていくという見通しが示されている段階にある [BP-005 §網羅的なデータによる検証]。可能性としては、浮世絵の役者顔を「芸能」カテゴリに並べるといった構想もあり [UC-040 §顔画像データセットの展開とedomi]、顔コレのような枠組みを他の対象へ広げる方向が示されている。