画像から顔貌などの部分を切り出して並べ、様式の違いを確かめる作業が、日本中世絵巻の研究でどう働くかを、清浄光寺甲本「遊行上人縁起絵巻」の分析に即して述べる。切り出しや横断検索、集計の仕組みは「部分を切り出す」を参照し、ここでは様式分析に用いて何が言えるかに絞る。

多巻絵巻が様式分析の対象に向く条件

14世紀は絵巻制作の第二のピークにあたり、10巻や12巻に及ぶ多巻構成の作品が数多く生まれた。10巻を超える規模になると一人の絵師が全体を描くことはなく、複数の親方クラスの絵師を擁する工房が、同一工房内あるいは別工房間で分担して制作した。1305年の『賀茂社嘉元三年遷宮記(嘉元三年御遷宮日記)』は、高階隆兼と三人の絵師の名を伝えており、この工房構造を裏づける記録である。[UC-042 §絵師の工房と共同制作]

分担の跡は作品内部に様式の差として残りうる。髙岸輝氏は、こうした多巻構成の作品こそ顔コレやGM法による分析に適していると述べている。[UC-042 §祖師伝を描く多巻絵巻] 清浄光寺甲本もその一例で、岩橋春樹氏が全10巻を三つの類に分けたことが分析の出発点になる。一類は彩色・描線ともに標準的で、二類は濃彩で装飾的、三類は淡彩によるものである。[UC-042 §清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格]

顔貌を並べて見えること

GM法は、美術史研究者が写真カードを並べ替えて行ってきた様式分析を、デジタル環境で大規模化・効率化し、メタデータを付加できるようにしたものである。名称は様式研究のGiovanni Morelliと、切り取った部分を凝視する「Gazing Microcontents」の二重の由来を持つ。[UC-041 §手法の一般化としてのGM法] 顔貌を切り出す対象は絵巻に限らない。浮世絵でも顔のデータセットが構築され、役者の顔を自動で切り抜いて並べる構想が語られている。[UC-040 §顔画像データセットの展開とedomi]

顔だけを取り出すと、全体の印象では判断しにくかった点が見えてくる。清浄光寺甲本の二類は、樹木や草花、川の流れが装飾的で近世絵画を思わせる。しかし顔を切り抜くと意外に古典的であり、人物や景観の描写には一類と共通する基盤があった。三類は顔だけなら一類によく似るが、衣は淡彩でコントラストが弱く、文様も目立たない。[UC-042 §作品調査と高精細画像による三分類の再検討] 全体の雰囲気で分けられていた三つの類が、顔という部分に絞ると別の関係で見えてくるのである。

僧侶と尼僧の描き分けも例になる。男女の区別が緩いと権力者から指弾される恐れがあった時宗教団は、男女が同じ場所にいても接近していないことを絵巻の中で強調した。顔の描き方は、原本に対する絵師の姿勢と、男女を表現する絵師の技術の両方に関わる。髭を残すといった記号的な表現が図像の解釈にあたり、女性の輪郭は卵型でつるっとし、男性はごつごつしているという違いが表現のレベルに現れる。個々の場面ならその場で把握できるこの違いも、全巻の僧侶と尼僧をすべて取り出して絵師ごとにシールを貼る作業をすれば、網羅的に確かめられる。髙岸氏は、これが絵師の様式、図像の解釈、原本の理解という複数の問題を見る手がかりになると述べる。[UC-042 §顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較]

工房間比較と工房内比較

髙岸氏は、顔貌の切り抜きが可能にする比較を、工房間比較と工房内比較に整理している。[UC-042 §工房間比較と工房内比較]

工房間比較は、類ごとの絵師あるいは工房どうしの細部比較である。まず顔が対象になるが、今後は樹木、岩、水景、建築物にも広げうるという。島田修二郎氏や小松茂美氏が何人の手に分かれるかを論じてきた48巻の「法然上人伝絵」(知恩院蔵)は、画像がIIIFで公開されれば区別をかなり明確にできる、と髙岸氏は述べている。

工房内比較は、一つの類の中の同じ画面に微妙に違う画風があることに着目し、主要部分と添景といった絵師の内部の分担を見るものである。「一遍聖絵」の円伊工房や、「春日権現験記絵巻」「玄奘三蔵絵」の高階隆兼工房は、一見すると統一感が強いが、実物を詳しく見ると様式の揺れがある。「玄奘三蔵絵」は第1巻から第6巻までと第7巻から第12巻で画風が変わり、一見してわかるほどである。

絹本という素材は工房内比較に固有の利点を持つ。「一遍聖絵」と「春日権現験記絵巻」は絹に描かれて描写が緻密で、同一作品内で画絹の織成密度が一定である。そのため顔や部分を切り抜いてスケールを揃え、等倍で比べることで、一作品内の微妙な差異を見つけられる、と髙岸氏は見通している。[UC-042 §工房間比較と工房内比較]

様式の差を制作の分担として読む

様式の差を絵師の分担として読むことは、制作年代の推定にもつながる。岩橋氏は一類を南北朝から室町前期、二類を室町後期、三類には近世的感覚があるとみて三者を別の時代に振り分けた。ただし同一セットである以上は同時代の成立と判断し、15世紀後半から16世紀の制作と推定していた。[UC-042 §清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格]

これに対し髙岸氏は、津田徹英氏が詞書の筆跡から諸本をおおむね14世紀半ばから後半の書風と示したこと、そして高精細画像と作品調査を踏まえて、この推定を見直している。一類は14世紀初頭の原本の画趣を保って回帰しようとし、二類は対象を明確化・意匠化し、三類は原本をやや簡略に転写する。傾向は違っても、すべてが14世紀初頭の正統やまと絵への強い意識を共有している。そこで三つの類は別々の時代の作品ではなく、正統やまと絵をどう解釈するかという点で三者三様の姿勢を持った絵師の分担として捉え直せる。[UC-042 §作品調査と高精細画像による三分類の再検討]

この見直しは、南北朝絵巻に新旧の様式が並立するという宮次男氏の観察と接続する。宮氏は14世紀後半の絵巻に、伝統様式を温存する保守的な表現、そこからの脱皮、庶民感情に立脚した様式という三つの傾向を示し、後者を室町以降とみなす先入観は訂正すべきだと指摘した。[UC-042 §南北朝絵巻における新旧様式の混淆] 髙岸氏は、一類と三類が保守的な表現に、二類が庶民感情に立脚した様式にあたるのではないかと考えている。顔貌の比較は、こうした先行研究の枠組みに実証の根拠を与える手段として働く。

遠読としての可能性と限界

大量の顔貌を切り出して絵師ごとに並べる作業は、テキスト研究の遠読にあたる。個々を読む精読では見えない全体のパターンを、集約によって捉えようとする立場である(詳細は「遠読と精読」を参照)。テキストでは語や文を単位に集計するのに対し、画像では何を一単位として切り出すかを、研究者が目的に応じて選ぶ必要がある。清浄光寺甲本の事例では、顔という単位を選んだことで、場面の印象では届かなかった絵師の様式・図像解釈・原本理解の差が全巻規模で確かめられた。[UC-042 §顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較]

一方で、様式の差から言えることには限りがある。同じ工房の中に三つの類が同居していたのか、三つが別々の工房なのかは、現状では判断が難しいとされている。[UC-042 §清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格] 様式の差を絵師の分担として解釈することと、それを工房という単位に帰属させることは別の問いである。

自動化についても同様である。未知の絵巻から機械学習で顔の位置を自動認識し、キュレーションの支援に用いる試みが行われている。[UC-002 §顔コレデータセットと機械学習との連携] ただし機械学習は学習していない画像タイプでは認識できず、何を学習し何を正解できるようになっているかを常に考えて使う必要がある。[UC-040 §機械学習とは何か] 自動検出が様式分析の射程をどこまで広げるかは、対象となる画像への適用可能性と認識精度の検討を伴う問いである。