はじめに

日本中世の絵巻を対象に、顔貌コレクション(顔コレ)とGM法を用いた分析がどのような美術史的関心に応えうるのかを、東京大学大学院人文社会系研究科の髙岸輝氏が解説しました。取り上げるのは、10巻からなる「遊行上人縁起絵巻」諸本のうち清浄光寺甲本です。複数の絵師が分担して描いた多巻構成の絵巻について、絵師ごとの様式の違いをどう捉えるかという問題と、その前提となる先行研究の状況、顔貌を切り出して比較することで何が見えるのかを扱います。

14世紀における絵巻の多巻化と制作工房

14世紀は絵巻制作の第二のピークにあたり、10巻や12巻におよぶ多巻構成の作品が数多く生まれた時代です。この時期には鎌倉新仏教の祖師たちの行実を描いた絵巻が作られ、制作は複数の絵師を擁する工房によって担われました。

祖師伝を描く多巻絵巻

絵巻には質の面で平安時代末期と1300年ごろに二つのピークがあり、第二のピークにあたる1300年から1400年には、一つの絵巻が10巻や12巻におよぶものが増えます。髙岸氏は、こうした作品についてIIIFを活用した様式分析や図像分析ができないかと現在取り組んでいると述べました。この時期は、鎌倉新仏教の祖師である法然・親鸞・一遍の没後、10年から100年ほど経た時代にあたり、その行実を描いた絵巻が作られます。法然については48巻という巨大なセットが14世紀に、一遍については12巻の「一遍聖絵」が1299年に成立し、今回取り上げる「遊行上人縁起絵巻」10巻も、一遍と弟子の他阿真教を主人公として1307年頃に成立します。髙岸氏は、こうした多巻構成の作品こそ「顔コレ」やGM法による分析に大変適しているのではないかと述べました。

絵師の工房と共同制作

10巻以上という大きなセットになると、一人の絵師がすべてを描くことはありません。1305年の『賀茂社嘉元三年遷宮記(嘉元三年御遷宮日記)』は、当時を代表する宮廷絵師の高階隆兼と、信隆・隆氏・久隆に比定される三人の絵師の名を伝える貴重な記録です。髙岸氏は、複数の親方クラスの絵師がいる絵所(絵画制作工房)を隆兼が率い、それぞれの親方の下にそれぞれ数人の助手クラスがいる構造だったと述べます。一つの絵巻は、同じ工房、あるいは別々の工房どうしの共同制作として作られていたことになります。

南北朝絵巻における新旧様式の混淆

14世紀半ばから後半の南北朝時代は、様々な絵画様式の絵巻が並立している時期にあたります。宮次男氏はこの時期の作品を三つの傾向に整理しており、髙岸氏はその指摘を今回の研究の前提としています。

宮次男氏は1974年の「中世絵巻の展望」(『MUSEUM』284)で、14世紀後半の南北朝絵巻を変革期として概観し、伝統様式を温存する保守的な表現(一)、そこからの脱皮を志向するもの(二)、従来かえりみられなかった庶民感情に立脚した様式(三)の三つの傾向を示しました。

宮氏は(三)について、下手(げて)に見える作品を室町時代以降のものとみなす先入観は訂正しなければならず、14世紀末期には現れはじめる新様式とみるべきだと指摘しました。髙岸氏は、この指摘が今回の研究のベースの一つになっていると述べています。

「遊行上人縁起絵巻」諸本をめぐる研究状況

「遊行上人縁起絵巻」は、多数の転写本が伝わり二人の祖師を描く点で注目される作例でありながら、研究が十分に行われてこなかった絵巻です。近年、詞書の書風分析から、諸本の年代観を大きく動かしうる仮説が提出されました。

原本は他阿真教(1237〜1319)の存命中、1303年から1307年にかけて成立しました。紙本10巻のうち前半4巻が一遍の生涯、後半6巻が真教の行実にあてられます。諸本の間で詞書や絵画構成の異同は比較的少なく、集中的に転写が進められた可能性があります。

津田徹英氏は2018年の「詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相」(『美術研究』423)で6本の諸本の詞書の筆跡を分析し、それらがおおむね14世紀半ばから後半(南北朝時代)の書風であることを示しました。これまで14世紀から16世紀ごろまで制作年代に幅があると考えられてきた6本が、詞書を写した人たちの重なりからほぼ14世紀にまとめて写されたのではないかという刺激的な仮説であり、絵の方もこれに連動して見直す必要があると髙岸氏は述べます。

清浄光寺甲本の冒頭の詞書は格調が高く、14世紀のものと考えてよいと髙岸氏は述べます。一方で絵の方は、霞の色の青みが強く全体に明るめであるといった理由から、15世紀・室町時代の作例かと言われ、宮氏も画風から制作年代を推定することは極めて困難だとして、室町初期から江戸初期ごろまでの幅のある年代観を示していました。詞書の分析から、絵が14世紀まで遡る可能性が出てきたことになります。

清浄光寺甲本の三つの画風と絵師の格

清浄光寺甲本は全10巻が三つの画風に分かれます。この分類は、一つの作品のなかに異なる様式が混在することを示すとともに、絵師の格式の差を読み取る手がかりにもなります。

岩橋春樹氏は1989年の「『遊行上人縁起絵巻』―清浄光寺本について―」(『仏教芸術』185)で全10巻の絵師の分担を分析し、彩色・描線ともに標準的な(一類)、濃彩で装飾的な(二類)、淡彩による(三類)の三つの類型を示しました。一つの作品の中に三つの異なる様式が混ざっているという重要な指摘です。

髙岸氏は、この分担が絵師の格式と結びついていると指摘します。清浄光寺甲本は一類・二類・三類の順に格が高いと考えられそうです。絵巻では第1巻を最も格の高い絵師が、最後を二番目の絵師が担当するのが一般的です。この絵巻でも前半の一遍伝は格式の順に担当され、後半の他阿伝でも最初と最後という重要なところは二類の絵師が描いています。ただし、同じ工房の中に三人の絵師がいたのか、三つ別々の工房があったのかは現状で判断するのは難しいと述べました。

岩橋氏は画風の印象として(一類)を南北朝から室町前期、(二類)を室町後期、(三類)には近世的感覚があるとみたうえで、同じセットの絵巻である以上は同時代の成立と考え、15世紀後半から16世紀にかかる室町時代後期の制作と推定しています。髙岸氏は、この推定を再検討する必要があるとしました。

作品調査と高精細画像による三分類の再検討

岩橋氏の三分類は、現物調査と高精細画像をもとに、それぞれの類が原本に対してどのような姿勢をとっているかという観点から今回、読み直されています。分類そのものの妥当性は認められる一方、制作年代の推定には見直しが行われました。

この検討は、遊行寺宝物館の遠山元浩館長の理解を得て清浄光寺甲本をじっくり調査し、あわせて館長が撮影した高精細の写真の提供を受けることで可能になりました。全体を俯瞰して見たときにも三つの分類にはそれぞれ特徴があり、岩橋氏の分類の妥当性は認められると髙岸氏は述べます。

(一類)については、髙岸輝『中世やまと絵史論』(吉川弘文館、2020年)で、14世紀初頭に成立した原本の画趣を色濃くとどめ、これを再現しようとする意欲が強いと指摘しています。(二類)は樹木や草花が装飾的で、人の背丈ほどもある草花や魚の鱗のように派手な川の流れは近世絵画を思わせますが、顔を切り抜いてみると意外と古典的で、人物や景観の描写には(一類)と共通する基盤があります。(三類)は顔だけを切り取ると(一類)によく似ていますが、衣は淡い彩色でコントラストが弱く、文様も目立ちません。同じ絵巻のセットでありながら、三つの類でそれぞれ大きく雰囲気が異なります。

髙岸氏はこれを、(一類)には14世紀初頭を再現し回帰する指向、(二類)には対象を明確化・意匠化する指向、(三類)には原本をやや簡略に転写する傾向がある、と整理しました。傾向は異なるものの、すべてに共通するのは14世紀初頭の正統やまと絵に対する強い意識であり、これをいかに解釈するかという点で三者三様の方向が提示されているという見方です。詞書が14世紀であることとあわせて考えると、とくに(一類)の絵が14世紀の画風を示していることになります。そうすると、宮氏が指摘したように南北朝時代の絵巻には意外と近世的なものが含まれており、それが(二類)ではないかということになります。宮氏の分類でいえば(一類)と(三類)が伝統様式を温存する保守的な表現にあたり、(二類)が従来かえりみられなかった庶民感情に立脚した様式にあたるのではないか、と髙岸氏は考えています。

顔貌の切り抜きによる僧侶と尼僧の比較

講演に続くデモでは、清浄光寺甲本の人物表現、とくに僧侶の描き方が取り上げられました。男性の僧侶と女性の僧侶をどう描き分けるかという問題が、絵師の様式・図像解釈・原本理解という複数のレベルにまたがることが示されています。

この時代の時宗教団は、集団で旅をしながら布教をしていく、定住しない教団でした。一遍や他阿という祖師に導かれた男性の僧侶と女性の僧侶(尼僧)が一緒に旅をするため、男女の区別が緩く風紀に問題があるのではないかと、時の権力者から指弾される可能性がありました。絵巻を制作する人々はそのことに留意しており、同じ場所にいても男女が接近していないことを絵巻の中で明確に強調しています。デモで示された場面では、上側の列が男性の僧侶、下側の列が女性の僧侶で、先頭にいるのが二代目の他阿です。

こうした場面で顔をどう描くのかが問題になると髙岸氏は述べます。原本のある絵巻を転写していくときの原本に対する姿勢の問題であり、同時に、それぞれの絵師の技術として男性と女性をどう表象するかの問題でもあります。男性の僧侶に髭の表現を残すような分かりやすい記号的な表現が図像的な解釈にあたるとすれば、表現のレベルでは、女性の顔の輪郭が全体に卵型でつるっとしているのに対し男性はごつごつしているという違いが見られます。

こうした違いは、その場面を見ればその場で把握できます。しかし、全巻にわたってすべての僧侶と尼僧を取り出し、絵師ごとにシールを貼っていく作業をするだけで、そのことが網羅的にわかるようになります。髙岸氏は、この作業によって、絵師の様式の問題、絵師の図像の解釈の問題、絵師の原本に対する理解の問題という複雑な問題を見ていく手がかりが出てくると述べました。

工房間比較と工房内比較

顔コレやGM法で顔を切り抜いていくことで可能になる比較を、髙岸氏は工房間比較と工房内比較の二つに整理しました。いずれも清浄光寺甲本にとどまらず、14世紀の多巻絵巻に広く適用しうる方向です。

工房間比較は、(一類)(二類)(三類)それぞれの絵師あるいは工房どうしの細部比較です。まず顔が対象になりますが、今後は樹木、岩や土坡(山や岩など)、水景、建築物にも広げられます。工房内比較は、それぞれの類の中にも同じ画面の中に微妙に違う画風があることに着目し、主要な部分と添景といった絵師の分担を見ていくものです。

工房間比較の対象としては、48巻からなる「法然上人伝絵」(知恩院蔵)があります。島田修二郎氏や小松茂美氏といった研究者が、この48巻がいくつの手に分かれるのかという問題に古くから取り組んできました。髙岸氏は、その写真がいずれIIIFのような形で公開されれば、かなり明確に区別していくことが可能だと述べています。工房内比較の対象としては、「一遍聖絵」の円伊工房、「春日権現験記絵巻」「玄奘三蔵絵」の高階隆兼工房、「慕帰絵」の藤原隆章・隆昌工房が挙げられます。円伊工房と高階隆兼工房の作品は、一見すると全体の様式の統一感はかなり強いといえますが、実物をじっくり見ると微妙な様式の揺れがあります。「玄奘三蔵絵」は第1巻から第6巻までと第7巻から第12巻で画風が変わり、一見してわかるほどです。細部、とくに顔の描き方が比べるときの大きなポイントになると髙岸氏は考えています。

「一遍聖絵」と「春日権現験記絵巻」は、絹に描かれているという意味で大変珍しい作品です。絹に描かれているぶん描写が緻密で、画絹の織成密度は同じ作品の中で一定です。そのため、顔や部分を切り抜いてスケールを揃え、等倍で比較していくことで、一つの作品の中の微妙な差異を見つけていく作業が、この先可能になっていくのではないかと髙岸氏は述べました。

おわりに

髙岸氏は、美術史的な関心とこの方法が生みうる可能性について話したとして講演を締めくくりました。清浄光寺甲本については、三つの類を隔たった時代に振り分けるのではなく、14世紀初頭の正統やまと絵に対する解釈の違いとして捉え直す見通しが示されています。顔貌の切り出しは、そこで問題になる絵師ごとの様式・図像解釈・原本理解の違いを、場面ごとの印象ではなく全巻にわたって確かめる手がかりとなります。

講演情報

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この記事は、講演記録を基に生成AIを利用して作成したユースケース記事です。