はじめに

東京大学地震研究所の大邑 潤三氏による本講演は、歴史的ジオコーダーの利用事例として、1923年(大正12年)の関東大震災の死亡者住所を大量にジオコーディングし、その空間分布を地図化した取り組みを報告するものです。ジオコーディングとは住所を緯度経度に変換する処理ですが、対象は震災当時の古い住所であり、現代のツールがそのまま使えないという難しさがあります。本講演では、東京都慰霊協会が所蔵する「震災死亡者調査表」約3万8千名分のデータを素材に、住所の表記揺れや誤字にどう対処したか、そして変換結果から読み取れる被害の空間パターンをどう可視化したかが語られます。歴史資料を地図化して被害の要因や社会的背景を探ろうとする研究者にとって、実際の変換作業と分析の流れをたどる手がかりとなる記事です。

使用データ:東京都慰霊協会「震災死亡者調査表」

本講演が素材としたのは、東京都慰霊協会が所蔵する「震災死亡者調査表」のテキストデータです。このデータの性格を押さえることが、ジオコーディングの狙いを理解する前提になります。

「震災死亡者調査表」は、関東大震災の死者を調査するため、東京震災記念事業協会が1927年に作成した厚紙カード(約5万枚)です。手書きのものが中心で、一部に印判で押された記載もあります。2022〜23年、東京都慰霊協会が「関東大震災100年事業」の一環としてこれらをテキスト化し、重複を統合した結果、3万8,332名分のデータとなりました。このデータは表形式で公開されており、大邑氏は申請して貸与を受けています。

公開項目は、性別・死亡年齢・本籍・住所・死亡場所の5項目です。本来のカードには氏名も記載されていますが、個人情報への配慮から氏名は非公開の扱いとなっています。地理的な情報のうち「住所」は番地まで詳細に記載されている一方、「死亡場所」は特に本所区の住民について「本所区」までしか書かれていないものが大半で、位置の精度が粗いという特徴があります。そこで大邑氏は、精度の高い「住所」をターゲットに変換を行い、死亡者が住んでいた場所の分布を地図化することにしました。

大正時代の住所をジオコーディングする課題

このプロジェクトの中心的な課題は、大量の古い住所をいかにして緯度経度に変換するかにあります。死亡者の住所分布が明らかになれば、震災で亡くなった方がどこに住み、なぜ亡くなったのか、その背景にある社会的要因までさかのぼれると期待されますが、まずは地図化しなければ分析は始まりません。

難しさの根本は、対象が1923年当時の住所である点にあります。現代の住所であれば既存のジオコーディングシステムで変換できますが、震災後には区画整理が非常に激しく行われて町名が著しく変更されたため、現代の住所との対応づけが困難で、現代の住所表記があまり参考になりません。

加えて、原票の表記そのものに揺れがあります。たとえば「本所区三笠11」と書かれていても、正式には「本所區本所三笠町」のように「本所」が付きます。「常磐」と「常盤」、「蛎売」と「蛎殻」のような誤字・入力ミスもあり、区の誤記(記載は「浅草区佐賀町」だが実際は深川区)も見られます。さらに、「横川町」が本所横川町・中ノ郷横川町・柳島横川町のいずれか区別がつかないような、一意に決まらない町名もありました。大元は手書きであり、テキスト化はされているものの、こうした大量の住所を変換する作業が課題となりました。

ジオコーディングの基盤となるデータセットとツール

変換の基盤としたのは、『旧東京市15区住所データセット』(ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター、2025)と、住所ジオコーダーのJageocoderの組み合わせです。この二つを準備することで、過去の住所の変換が可能になりました。

『旧東京市15区住所データセット』は、石川・中山(2017)の『近代東京アドレスジオコーディングデータセット』を基盤としています。これは1907年の東京市15区内の住所56,089件を現在の位置座標に変換するシステムで、基図には「東京郵便局 明治40年 東京市十五區番地界入地圖」が用いられています。これをJageocoder用に変換したうえで、地名の誤りの修正、区画代表点の自動推定、表記揺れ対応辞書の追加が施されました。この調整にはCODHの山本智子氏の協力を得ています。

Jageocoder はPython版の日本住所ジオコーダー(Python 3.9.2以上)で、住所を都道府県・市区町村・町丁・番地・字に分割し、住所DBから緯度経度を検索します。標準では現代住所のDBを参照しますが、これを過去の住所DBに差し替えることで、過去の住所のジオコーダーとして利用できます。数字の全角・半角の違い、「1丁目1番地/1-1」といった表記揺れ、異体字などはJageocoderの機能で対応します。

ただし、使用したデータセットは1907年時点のものであり、対象の1923年とは16年の差があります。ぴったり合うデータセットを探すのは無理であるため、概ね適用可能と判断し、変化のある地域は後から考慮することにしました。なお大邑氏自身はGISは扱うものの、Pythonは間接的に触れる程度だったため、実際にはPythonのインストールから作業を始めています。

住所データ修正のワークフロー

住所の変換は、そのまま変換して終わりではなく、表記揺れや誤字との格闘を伴う段階的な作業になりました。大邑氏は変換率のレベルを見ながら、次の4つのステップで住所データを修正していきました。

STEP 1では、まずそのまま変換を試みました。すると「本所区三笠11」は「東京府東京市本所區」までしか変換されません。正式には「本所」が付く「本所區本所三笠町」だからです。そこで表記揺れのパターンを収集してJageocoderの辞書に登録したところ(この対応には山本氏の協力を得ています)、精度が格段に上がり、全体の約84%が地番レベルであるレベル7で変換可能になりました。

STEP 2では、町名の同定を行いました。「横川町」のように一意に決まらない町名を文脈から判断します。「中ノ郷横川町」「柳島横川町」は区別の表記があるため、単に「横川町」とだけ書かれているものは「本所横川町」とみなしました。

STEP 3では、誤字・入力ミスを修正しました。これらは手書きの原票に由来するものと、デジタルテキスト化の際に生じたものが混在しています。常磐→常盤、蛎売→蛎殻、掃際→掃除、堅→竪、霊厳→霊巌、練衛→練塀、掘→堀などがあり、くずし字を読む際に生じたと思われる誤りもあります。区違い(浅草区佐賀町→深川区佐賀町)も補正しました。これらは元データを手作業で修正した結果、約1,000件がレベル4からレベル7へ、約40件がレベル5へ向上し、レベル7が全体の86%に達しました。

STEP 4では、残りを1件ずつ確認しました。レベル4にとどまる表記揺れをすべて洗い出し、ほぼ確実に誤りといえるものと、曖昧な約160件を個別に確認しています。地図上に存在しない地番(例:本所石原町95番地)については、近接する番地(94番地)に代表させるといった処理を行いました。この段階でレベル7は全体の87%となりました。

変換精度の結果

一連の修正を経て、地番レベルでの変換率は着実に高まりました。区ごとに変換のレベルを集計することで、どの範囲がどの精度で地図化できたかが把握できます。

全体3万8,332件のうち、地番レベル(レベル7)で位置を特定できたものは87%(3万3,467件)でした。住所の記載がない、または15区外(郡部)のために変換できなかったものが6%(2,245件)、丁目レベルにとどまったものが7%(約2,600件)です。区別に見ると本所区が最も多く、計2万7,489件(うちレベル7が2万5,830件)を占めています。8割から9割近くを変換できたため、分析に使える精度に達したと判断し、大邑氏はここから分析へ進みました。

変換の限界と今後の課題

変換率を高めた一方で、原理的に変換できない住所や、なお手つかずの領域も残されています。これらは分析結果を読む際の前提として押さえておく必要があります。

変換できなかった住所には、15区外の郡部(北豊島郡 約560件、南葛飾郡 約370件、荏原郡 約140件、南足立郡 約110件、豊多摩郡 約90件)や、他府県(神奈川 約180件、千葉 約44件、埼玉 14件ほか)、未記載の約730件が含まれます。これらは対象データセットの範囲外で、別途の対応が必要です。また、16年の差からこぼれたものもあります。芝区日出町は大正2年(1913)に成立した町で、1907年基準のデータセットには含まれません。この種のものはまだ十分に確認できていませんが、一つずつ見ていけば見つかると大邑氏は考えています。

このほか、修正の判断が難しいものや、区名に疑いがあるものは、原本(紙カード)に戻って確認する作業が必要です。約2,100件は原本確認によってさらに精度を高められる余地があり、この作業は進行中です。住所表記が古いものや通称で記録されているものは手つかずで、1907年と1923年で街区や住所が変化している地域(浅草区の田中小学校付近など)への考慮も、現状では手がついていません。

死亡者住所分布の可視化と全体傾向

変換した住所を地図化すると、死亡者がどこに住んでいたかの空間分布が見えてきます。約3万8千件をメッシュで集計した結果、本所区・深川区を中心とする被害の偏りが明らかになりました。

変換結果は、1点が1人の死者を表す形で約3万8千件を地図上にプロットしたものです。ただし点が重なり合って分析しにくいため、100メートル四方(1万平方メートルあたりの人数)のメッシュで集計し直しました。この集計では、レベル4(区)止まりの地点は除外しています。

集計の結果、本所区ではほぼ全域で居住者の死亡が発生し、南西部に最大の集中が見られました。深川区は本所区に次ぐ被害で、区の南東部を除いて面的に死者が発生しています。浅草・日本橋・神田・京橋にも面的な被害や局所的な集中がみられ、それ以外の区では被害はまばらでした。東京15区全体に死者は発生しているものの、本所・深川側の被害が大きいという傾向が確認されました。

死亡場所・人口密度からみた本所区・深川区の特殊性

死亡場所の記載と人口の状況を住所分布と重ね合わせると、本所区・深川区が他区とは異なる性格を持つことが浮かび上がります。この二つの区の特殊性が、被害の集中を理解する鍵になります。

まず、住民が居住地で亡くなったか、居住地以外で亡くなったかを検討しました。本所区では、住所地以外での死亡がほぼすべてを占めます。その内訳は「本所区」という表記のみが95%、被服廠跡が3%、その他が2%で、死亡場所を明らかにしようとしても区止まりで難しいことがわかります。深川区も同様の傾向で、住所地以外が98%(住所地は2%)、内訳は「深川区」のみが88%、被服廠跡0%台、その他12%でした。本所・深川では死亡場所のデータが区止まりのレベルしかなく、そこから深掘りするのは難しいといえます。一方、その他の区では居住地で亡くなった割合が相対的に高く、下谷区43%、神田区67%、浅草区24%などとなっており、本所区・深川区の特殊性が対照的に示されます。

次に人口密度との関係です。区別の死亡率(死亡者数÷大正9年国勢調査人口)は、本所区が10.7%で突出して高く、以下、深川区1.9%、浅草区0.9%、日本橋区0.6%、神田区0.5%、京橋区0.3%、下谷区0.2%、芝区0.1%と続きます。本所区は当時、人口増加も人口密度も高く死者も最大(約2万7千人)でしたが、同等以上の人口密度・人口増加であった浅草区は0.9%にとどまり、逆に人口密度の低い深川区は1.9%と高い値を示しました。したがって、人口密度の高さは死亡率が高くなる背景ではあるものの直接の原因ではなく、地域や場所ごとの別の要因が人的被害に作用したと考えられます。

被害が集中した地域とその要因

住所分布からは、いくつかの被害集中地域が具体的に読み取れます。とりわけ本所区南西部の被服廠跡周辺と、その周囲の橋梁との関係が注目されます。

被服廠跡周辺への集中

最も面的に広く、被害者数も多いのが本所区南西部、被服廠跡の周辺です。分布は扇形に広がり、その「要」に被服廠跡が位置します(西側が隅田川であるため扇状になります)。被服廠跡から約1キロメートル圏で被害が大きく、広大な空き地を目指して周辺住民が逃げ込み、そこで大規模火災に見舞われて死亡したことを強く示唆する分布です。被服廠跡での避難民の大量死は従来から知られていますが、死亡した避難民の「居住範囲」が地図上で可視化された点に意義があります。なお、本所太平町1丁目付近にも集中がみられ、これは横川橋付近の約770人の被害を反映したものと考えられます。

橋梁付近の被害軽減

被服廠跡から約1キロメートル圏内でも被害が小さい場所があり、大邑氏はそれが橋と対応しているのではないかという仮説を示しています。近くにある新大橋・両国橋の東詰付近一帯は、周りに比べて住民の死亡が相対的に少なくなっています。新大橋は「人助け橋」の異名を持つ鉄橋で焼失せず、橋の上に避難した住民が多数助かり、西詰の派出所にいた警官が避難民を誘導したという逸話も残ります。両国橋は木造の歩道部分が焼失したものの、発災当初は渡橋が可能だった可能性があります。ただし国技館付近で火災が発生したために渡橋が不可能となり、警察が避難民を被服廠跡へ誘導したことが『大正大震火災誌』に記されています。各橋に近い住民のいくらかは橋を渡って避難し、被服廠跡に逃げ込むことなく大規模火災を免れた可能性があると、大邑氏は考えています。

浅草・隅田川西側の各区

被服廠跡以外にも集中地点があります。浅草区では新吉原(遊郭)とその周辺に50〜100人規模の集中がみられ、その北の田中小学校では1,081人の被害があり、被服廠跡に次ぐ規模でした(この点は小室2025に詳しい)。日本橋区では本舩町・本小田原町で20〜50人、神田区では今川小路1丁目付近で50人以上の規模の集中が確認されます。それ以外の区では1〜5名が分散的に発生しており、住所地と同じ場所で死亡した例が多くなっています。これらの集中地点は、引き続き個別に分析していきたいと大邑氏は述べています。

本所区で被害が突出した社会的背景

本所区でなぜ被害が突出したのかについては、社会的な背景からの分析が示されました。以下は共同研究者である北原氏の分析にもとづくものです。

本所区は浅草に次ぐ人口急増地であり、大正期の急速な工業化と労働人口の流入がありました。石原町は死亡率が50%を超え、被服廠跡周辺の亀沢・南北二葉・外手などでも高い値が出ています。死亡者数と本籍人口のクロス集計を行うと、当該の町を本籍地とする者は約5割にとどまり、残りの半数は他所からの流入人口でした。これらは労働者としてこの地に移り住んできた人々であろうと考えられます。一方、横川以東の柳原・柳島や、中ノ郷・向島地域は被害が比較的軽微で、被服廠跡との距離が反映されているとみられます。

まとめと展望

本講演は、歴史的ジオコーダーを用いて関東大震災の死亡者住所の分布を可視化した試みでした。『旧東京市15区住所データセット』とJageocoderの組み合わせにより、大正時代の住所3万8,332件の87%を地番レベルで緯度経度に変換でき、表記揺れや誤字への対処が変換精度を高める鍵となりました。

被害分布を空間的に可視化したことで、被服廠跡を中心とする約1キロメートル圏への集中や、橋梁付近での被害の軽減といった、被害を拡大・縮小させる要因につながる空間パターンが確認されました。残された課題としては、原本確認による精度の向上、1907年基準と1923年の街区変化への対応、各被害集中地点の個別分析、死亡場所との対応関係の検討、被害の社会的背景の分析、本籍地との対応、15区外への展開などが挙げられます。

講演情報

関連リンク


この記事は、講演記録を基に生成AIを利用して作成したユースケース記事です。