華北交通アーカイブ

華北交通株式会社

華北交通とは

1937年8月、南満洲鉄道株式会社(満鉄)は、華北地域への進出の足がかりとして、天津に北支事務局を設置する。翌年1月、この機関は北京に移動。一方、日本内地の陸軍は、満洲の関東軍を牽制しつつ、華北地域の占領政策を強化するために、北支那開発株式会社の設置を誘導する。

1939年4月、その傘下に中国特殊法人として華北交通株式会社(以下、華北交通)が成立する。このとき、満鉄北支事務局は解体。華北交通は、鉄道、道路、河川・運河、港湾などのインフラ建設を担っただけでなく、これらを運用あるいは監視する人材を育成するために、扶輪学校、初級学校、愛路恵民研究所などを設置した。また、日本人の登用を促すために、国内外にいる日本人向けのグラビア雑誌『北支』の発行など、さまざまな広報事業にも力を注いだ。こうした表の事業だけでなく、地元住民を懐柔し、治安強化を図るために、愛路運動、宣撫活動、さらには諜報工作という裏の事業にも、多くの人材と資金をさいた。日本の敗戦間近の1945年4月、華北交通は、逼迫する戦時情勢に対応するため、北支那交通団という一種の軍事組織に改組されることになり、公共インフラとしての機能はストップする。

日本の敗戦後、1945年10月に中華民国国民政府が派遣した華北交通特派員公署が接収を開始。しかし、日本人の帰還事業を担ったのは、旧華北交通であったことも事実であった。一方、日本国内では、1946年11月に華北交通が閉鎖指定機関として指定された。翌年3月には、国内資産の精算か完了し、華北交通は完全に解体することになる。

交通事業

華北交通株式会社の交通事業については、鉄道網を中心としたデータベースを構築しています。バスや内河水運についても一部を登録しています。

華北交通株式会社所管の鉄道路線図です。各駅のページに移動し、駅周辺で撮影された写真を閲覧することができます。路線図の中黒丸は撮影写真が存在する駅、白丸は撮影写真が存在しない駅を示しています。

なお駅の位置は、現代の地図から推定したものである点にご注意下さい。また路線色は、地図上で路線を見分けやすくするための仮の路線色で、華北交通が使っていた色ではない点にご注意下さい。

華北交通 路線一覧

華北交通株式会社所管の鉄道路線の一覧です。内河水運は一部の水路、河川のみ表示しています。

華北交通 駅一覧

華北交通株式会社所管の鉄道駅・バス停留所の一覧です。内河水運は一部の拠点のみ表示しています。

華北交通社紋

本アーカイブでは、華北交通の社紋をデザインに取り入れています。以下の写真には社紋の形状に関する正確な記録があります。

華北交通株式会社マーク
華北交通社員会マーク

この社紋のデザインには、次のような含意がありました。

此の社紋は全体としては車輪を単純化し、翼によつてスピード感を表現したものであつて、尚之を地図上に置けば西進を意味し、更に内円は日章、外円は車輪を、翼は五色旗を象徴し、翼間の四線は線路の複線を暗示せしめる。尚社紋全体を赤色とした為遠望すれば日章旗に彷彿するのである。

参考:『京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真資料集成』48-49ページ

華北交通社員会のマークは、この社紋を左に一四六度回転させたデザインが使われています。